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混沌とした時代に必要なのは適度な「いい加減」さ

柳瀬 確かに、僕にとって日経BP社はとてもいい会社でした。いい意味でゆるいところがあったのと、チャレンジをすることに寛容でしたし。常に「いろんな雑誌を作っては、大成功したり潰したりしてきた」歴史が、いい意味でトライ&エラーを厭わない社風を醸成していて、しかもそれはトップが替わろうと不変でした。中央公論新社は『中央公論』を、文藝春秋は『文藝春秋』を潰せないかもしれない。でも日経BP社は、マーケットの環境が変わったら『日経ビジネス』を解体しかねない。流石にそこまではしないかもしれないけれど、それくらいの変わり身の早さが、業界でいち早くウェブメディアを作り出すきっかけになった。そういう雑さって重要だと思う。なにせ「雑」誌社ですから。

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成毛 いい意味で職人肌なのかな?

柳瀬 いや、少なくとも僕自身はド素人です。たとえば、ほかの出版社の書籍編集者や雑誌編集者を横目で見ていると、自分は編集者として、なんてアマチュアなのか、とつくづく感じていました。そんな僕にとって、日経BP社はとてもありがたい場所だった。日本の出版社としてはきわめてユニークで、理工医療系の専門媒体が多いため、理系の専門記者がたくさんいる。その意味では超プロ集団です。

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 一方で、「誰かに書いてもらう」編集者はあまり数がいない。専門記者たちの横で、アマチュア編集者の僕が、書籍やウェブメディアや広告企画を作っていく。この30年間、メディアのプラットホームの中心が紙からインターネットへと大きく動いた。あるいはビジネス分野や理工系の書籍市場が急拡大した。そういった激変を前にスムーズに一歩を踏み出せたのは、僕が古いタイプのプロではなく、むしろド素人のアマだったからなんだと思います。

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成毛 アマのいい加減さ、フットワークの軽さが活きた。

柳瀬 特に僕は、アマチュアのなかのアマチュア、という自負を持っています。自負というのも変ですが。実際、書籍のプロでも、一流の編集者でもありませんし。社内でウェブメディアが立ち上がったとき、たまたま関係した広告企画が成功しただけで、ウェブ広告に配属を変えられた。そしてそこで一人ぼっちになっても、特に何とも思いませんでした。

成毛 出版社で「自分は敏腕編集者だ」なんて思い込んでいたら、「広告企画なんて傍流のやつがやるもの。ましてやウェブなど」などと怒りそう。

柳瀬 でも日経BP社は、僕も含めてアマチュア根性が備わっているからこそ、結果として、早々にインターネットの世界でマネタイズできた。特に新しいことをやる場合、アマチュア根性で面白がってくれるような人が周囲にいないと絶対にうまくいきません。

成毛 確かに、出版社で偉くなっている人に、最近は保守本流ではない人が増えたよね。

柳瀬 そうですね。日経BP社でも中途入社の人が元気な一方で、「入社以来、記者一筋」とか、そういう人が意外に偉くならなくなってきた。混沌としている時代だと、いい意味で少しはみ出していたり、いい加減だったりする人の方が、マッチしやすいのかもしれません。