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攻められているようで攻めていた、吉本・岡本社長会見が守ったモノとは?

2019/07/31

genre : エンタメ, 芸能

 生中継はテレビの醍醐味だと言われる。先が読めないどころか、終わりの見えない展開になれば、なおさらである。さかのぼれば10日間に及ぶ立て籠もりとなった「あさま山荘事件」の生中継、阪急・上田監督の1時間19分にわたる抗議で有名な1978年の日本シリーズ第7戦がそうだ。

 吉本興業・岡本社長の記者会見もそれだったろう。

©吉田暁史

 今回の会見はAbemaなどの配信メディアのおかげもあって、平日の午後でありながら多くの者はそれを延々と見てしまった。ついつい見続けるうち、すっかり日が暮れるまで続く5時間半のロングラン会見につきあうことになろうとは……そんな興奮と疲労感とが入り交じる思いを味わうのであった。それは視聴者ばかりではない。取材する者も同様であったようだ。

 そこには「質問の手が上がらなくなるまでやる」という岡本社長に対して、根負けしていった取材陣の姿があった。岡本社長がなにを言っているのかわかるようでわからないため「メモをとっても文脈を見失う」ほか、PCの電源が危うくなる、冷房で体が冷え切る、疲労のためか三脚ごとカメラを倒してしまう(注1)という有様であったという。なにしろ5時間半である。

ラチガイの危機管理能力

©吉田暁史

 こうしてみると岡本社長は攻められているようで攻めている、柔術の達人のようにもおもえる。巷にあふれる危機管理術からはラチガイの危機管理能力を見せたといえる。

 ではいったいどんな危機を管理したのか。記者会見の実施について、岡本社長は「会社としての決定。協議の結果、決定した」と答えており(注2)、トップとしての自覚やその判断からではない。組織の首領はあくまでも会長・大崎洋である。週刊文春によると岡本社長は「『大崎命』を公言している。大崎さんの言うことは絶対にノーと言わず、必ず実行する。それだけで社長まで引き上げられたんです」(吉本元社員)だそうな。