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吉本興業は「ぼく」「くん」の会社

 岡本社長は記者会見の場に代表取締役社長という立場で臨みながらも、一人称が「ぼく」だったり、「田村亮くん」などと“くん付け”で第三者を呼んだりした。社会人の規範からは逸れているが、こうした習性から「吉本」という会社が見えもする。

「吉本興業はファミリーである」と岡本社長はいう。「芸人も社員も、別け隔てなく温情のいきわたる集団」みたいな意味合いに違いない。なにしろ「ぼく」「くん」の会社だ。岡本社長にしてみれば気兼ねのない関係のうえにたつ会社だという認識なのだろう。

 そうした「ファミリー」の実相はいかなるものか。

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 いみじくも宮迫博之・田村亮らを「会見するんやったら全員クビや」と恫喝したことを記者会見で問われて、岡本社長は「父親が息子に『オマエ、勘当や』みたいなつもりというか。ええかげんにせえという感じだった」と述べている。なるほどその実態は家父長制、すなわち親が子の生殺与奪の権利を握るということそのものであった。

©文藝春秋

 一方は「父親」の温情のつもりで叱りつけ、他方は「会社」からの恫喝としてそれを受け取る。あるいは同じ芸人でも、松本人志は大崎会長を「兄貴」と呼んだ。そうした松本に対して、加藤浩次は「後輩ながら言わせてもらうと」と反発し、会社のトップの責任を追及した。

 いうなれば、そこにあるのは疑似家族の絆のつながりか、マネジメント−タレントの契約関係か、という対立である。

 そういえば元所属タレントの島田紳助は週刊新潮の取材に対して、「会社が親、芸人は子」といい、宮迫・田村が弁護士をつけたことについて「弁護士が法的、権利的なことを言い出すと収拾がつかんくなる。家族のあいだに弁護士が入ったらあかん」(注4)と述べている。どうやら「ファミリー」とは、法の外にある条理であるようだ。

 

(注1)日刊スポーツ「カメラも倒れる…吉本会見5時間半の取材エリア風景
(注2)週刊文春2019年8月1日号
(注3)はてな匿名ダイアリー「
吉本社長の会見に行って現地で見たことを書く
(注4)週刊新潮2019年8月1日号