同性婚訴訟で繰り返される「想定されていない」というフレーズ
そんな中始まった同性婚訴訟。
7月、第2回目の口頭弁論で、国側は、原告側の代理人である弁護士が投げかけるさまざまな質問に対して、こう答えた。
「同性同士の婚姻は憲法上、想定されていない」と。
原告側は、こう問い返す。
「『想定されていない』というのは、同性同士の婚姻は憲法上禁止されているという意味か、法律で同性同士の婚姻を認めることは禁止されていないという意味か、はっきりと答えられたい」
国側は「重ね重ねになりますが、同性同士の婚姻は憲法上、想定されていない」と何度も何度も同じ言葉を繰り返した。
何を聞いてもこれしか言わない国側の発言に傍聴席からは失笑も漏れていたという。
「想定されていない」――。
この言葉をオウム返しのように繰り返す。ギャグなのか?
いや、違う。
彼らは、自分たちの主張の論理的根拠が見出せず、これしか言うことができなかったし、これしか言うことを許されていなかったのだろう。
しかし、「想定されていない」という言葉に、「自分の存在自体が想定されていない」と感じ、傷ついたという当事者もいたことは伝えておきたい。
僕たちは真剣だ。真剣に問いかけをしている人に対して、ふざけた返答をし続けることの不誠実さを、国側は恥じるべきだ。
ギャグでは、済まされない。
日常のどこにでもある「想定外」
思い返すと、今まで僕のような人間が、想定されていたことなんか、人生でほとんどない。新しい美容室にいけば、ちゃらちゃらした若い美容師に「お兄さんモテそうっすね、彼女いっぱいいるんじゃないですか」と、勝手に異性愛者ということにされる。その美容師はお客さんの中には同性愛者もいるかもしれないと想定していなかったのかもしれない。
学校教育の場でも、公共サービスでも、映画館のカップル割引でも、団信保険でも、旅行先でも、いつも、どこでも、僕が同性愛者であることが想定されていないことの方がまだまだ多い。