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キノコ雲に“憧れる”米国人は、原爆のリアルを今も知らない

2019/08/06
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「ピューリッツァー受賞者ジョン・ハーシーの『ヒロシマ』を読んだか?」「被爆者の皮膚は手袋みたいに剥がれ落ちる」「肺はダメになり、呼吸ができず、考えることもできなくなる」「腎臓もやられる」「甲状腺は蒸発する」「リンパ球は急減する」と畳み掛けるように語る。「セシウム139は広島と長崎の原爆を合わせた威力だ」と続け、モニターには原爆ドームとキノコ雲が映る。

水分(みくまり)峡(広島県府中町)入り口から撮った原子雲。原爆のさく裂2分後、最も早く撮られた写真と推定されている。撮影日1945年(昭和20)年8月6日、撮影:山田精三 ©中国新聞/共同通信イメージズ

 物語の進行上、上記のシーンはやや唐突にも感じるが、とにもかくにもハリウッド映画が現実の被爆者の描写を取り入れたことは一考に値する。

 なお、ウォールバーグのセリフにある『ヒロシマ』とは、ジャーナリストのジョン・ハーシーが1946年にニューヨーカー誌に寄稿した長文の記事を指す。広島に出向き、複数の被爆者を追ったこの記事は当時、非常に広く読まれ、現在はネット上で無料公開されている。

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 この映画も含め、アメリカの対原爆感情はごく僅かではあるが、変化の兆しを見せつつあるように思える。

動き始めた米国世論

 2016年、オバマ大統領が現役米国大統領として初めて広島を訪れ、被爆者の男性を抱擁した。米国の戦史観を考えると、これは画期的なことだった。

 今年5月には、アメリカに留学中だった日本人高校生、古賀野々華さんの「キノコ雲」についてのメッセージ・ビデオが大きな話題となった。野々華さんが留学した高校は核産業によって栄えたワシントン州リッチランドにあり、同市は長崎に投下された原爆の原料プルトニウムを生産したことで知られる。リッチランドの住人はそれを誇り、高校のロゴマークも「R」とキノコ雲を組み合わせたデザインだ。

 野々華さんは留学を終えて帰国が迫った5月末に、キノコ雲のロゴマークについて語るビデオを作った。その中で、自分は福岡出身であること、原爆投下予定地は長崎ではなく福岡だったが、当日は曇り空であったために長崎に変更されたこと、もし福岡が晴れていれば自分の祖父母は原爆によって亡くなり、自分は今、ここにはいなかっただろうと英語で語った。

古賀野々華さんの製作したビデオ

 

 ビデオはあちこちのメディア・サイトに転載され、多くの若者に閲覧された。サイトに書き込まれたコメントは「ロゴを変えるべき」「原爆は終戦を早めた」「日本軍はアジアでひどいことをした」など様々だった。どの意見もそれぞれ一聴に値するとは言え、やはり原爆の被害の甚大さが正確に伝えられていないことが問題だと言える。

 こと核兵器の使用については互いが過去の行状を非難し合うのではなく、今後、世界のどこであろうと二度とあってはならないと誰もが強く認識し、そのためには広島と長崎の被爆者の実態を世界中に伝えるべきだ。ハリウッド映画はその格好のツールになり得る。よってハリウッド版『千羽鶴』の主人公が誰であれ、劇中に被爆者の壮絶な苦しみの、事実に基づいた描写が挿入されることを強く希望する。

キノコ雲に“憧れる”米国人は、原爆のリアルを今も知らない

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