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 外の音が反響してそう聞こえているのだろうか。いや違う、明らかにクローゼットの中に、何かがいる。そう彼女は確信しました。そして、大家さんとの約束を破り、そのクローゼットをおそるおそる開けてしまったのです。

「キャアアーーー‼」

 シェアハウス全体に響き渡る彼女の絶叫に、驚いて起きた住民たちが「どうしたの?」と心配して彼女の部屋へと駆けつけてきました。他の住人の姿を見るや、彼女は、「すぐに警察をよんで‼」と大声で訴え、パトカーが出動する騒ぎになった、というのがこの夜の顛末でした。

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 彼女は、ハッキリと見たというのです。駆けつけてきた警察官にも、「絶対いました。間違いないんです。探してください」と何度も何度も訴えたそうです。

 しかし、結局は何も見つからなかったので、最後には謝罪することとなったわけです。私が到着したのはそんな時でした。

  警察の方々が帰られた後、私は怯える住人たちとともに、2階でお話を聞くことにしました。クローゼットの中に、何を見たのですか、と。

 すると彼女は、怯えながらもハッキリとした声で言い切りました。

「ネクタイで首を吊られた赤ちゃんが、ぶら下がっていました」

 嘘ではない、見間違いでもない。彼女は確かに、見たのでしょう。

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「大家さん、何か心当たりはありませんか」

 私が問いかけると、大家さんは大きく息をついて、まず住人全員に頭を下げました。そして、そのままの状態で、

「この家をシェアハウスに改装したのは、ある事件の後でした」

 と言うと、頭を上げました。苦しそうな表情でした。

「この家は以前、生まれたばかりの赤ちゃんを連れた夫婦に貸していましたが、この夫婦の奥さんが育児ノイローゼになってしまったのです。泣き止まない、思いどおりにいかない、言うことを聞いてくれない赤ちゃんを前に、精神に異常をきたした奥さんは、赤ちゃんの首にネクタイを括り付けて、あのクローゼットのハンガー掛けから吊るして殺してしまったのです」

 聞いていた住人は一様に顔を見合わせ、驚き、そして背筋を凍らせていた様子でした。そんな惨劇がおきた家に同居していたとは夢にも思っていなかったでしょう。

 私は彼女たちを促し、一階のその部屋のクローゼットに向かって、みんなでお経を上げるしかありませんでした。

 数日後、その家の賃貸管理を任されていた不動産屋さんと、大家さん、女子学生さんがお寺に来られました。そして、そのシェアハウスは、閉鎖されたと報告を受けました。

 その時に、彼女が、思いがけないことを言ったのです。

「私には、結婚した姉がいます。その姉夫婦は、子供が授からず悩んでいます。今回の事件を話したら、生まれ変わって、私たち夫婦の元に来て欲しいと言っています。どうかそのようにお経を上げてくれませんか」

「子宝は、絶対の約束は出来ませんが、ともに祈ってみましょう」

 こうした祈りはそうあるものではありませんが、数ヶ月にわたり、供養を行いました。

 そして、先日、お寺にお姉さん夫婦と共に、赤ちゃんを授かった報告に来てくれたのです。あのときの赤ちゃんかどうかはもちろん分かりません。ただ、もしそうであったのであれば、今度こそ幸せな人生を歩んで欲しいと祈っています。

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