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「カッコいいは文学者が挑むべきテーマである」

「どうやら人にはそれぞれ、譲れない『カッコいいの基準』がある。それも当然といえば当然ですね。僕らは小さいころから絶えずカッコいいものに憧れてきたし、多大な影響を受けて生きてきましたから。ヒーローもののテレビに始まってスポーツ選手や歌手、俳優など対象は人によってさまざまで、最近ならユーチューバーのような存在もカッコいい存在とされていることでしょう。僕の場合は早い時期から洋楽が好きになったし、そのあとは三島由紀夫らの文学もカッコいい対象になりました。

 カッコいいという価値観は、現代を生きる人たちにとってこれほど大きい存在であるにもかかわらず、これまできちんと定義されず、言語化もされてこなかった。だれもがぼんやりとその概念を認識しているのみで、議論の足場すらない状態だったわけです。

三島由紀夫 ©文藝春秋

 でも実際には、だれもがこれだけよく使う言葉であることからわかるように、カッコいいの影響力は意外なほど大きい。民主主義と資本主義が組み合わされた20世紀後半以降の世界で、動員と消費を引っ張ってきた存在であり、現在の文化現象を読み解くには必須のもの。ならば歴史的経緯も含めて、これがそもそもどういうものかを考え直し、概念を提示してみたい……。そんな思いが、カッコいい論に足を踏み入れたきっかけです。ひもといていくと、そこには文学者が論じるべきテーマがたっぷり含まれているのもわかりましたしね」

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「カッコいいは文学者が挑むべきテーマ」だと平野さんがいうのは、その起源をかつての大芸術家の言動に見出しているがゆえだ。

現代に受け継がれる『カッコいい』を作り出した2人の芸術家

「カッコいいという概念の起源として、19世紀の芸術家や文学者に注目しました。特に画家のドラクロワと、詩人・批評家のボードレールです。

 19世紀、欧州では市民社会が成立して、個人主義と、それに基づく趣味判断の多様性が認められるようになりました。いいもの、好きなものはだれかから押し付けられるものではなく、自分で決めればいいという考えの誕生です。

 これによって創作者、たとえば画家は古代ギリシアを理想としたり、ラファエロを手本に絵を描く必要から解放されました。この主張を強く推し進めたのは、ロマン主義を代表する画家ドラクロワでした。

フランスの画家 ウジェーヌ・ドラクロワ ©getty

 彼はみずから筆をとった論文の中で、自分が戦慄を覚えるものがあるかどうかで美を判断すればいいと説きました。『しびれる』、鳥肌が立つ、といった生理的興奮を美の判断に用いようというのです。

 この”体感主義”というべきものに協調したのがボードレールです。『痙攣』や『戦慄』を伴う衝撃の体験を詩の中に織り込みました。彼らが打ち立てた”体感主義”は、ベンヤミンやアドルノらの思想家に言及されたりしながら、現在に受け継がれていきます」

フランス・リュクサンブール公園にあるフランスの詩人 シャルル・ボードレールの像 ©iStock.com

 なるほど、19世紀に生み出された「体感を信じよ」「美は多様でいい」という考えが、その後の表現をかたちづくっていくわけである。