「しびれる!」ゾクッとする体感が集約された『カッコいい』
「そうです、以降はモダニズムの時代になって、いろんな流派・タイプの新しい表現がどんどん出てくるようになります。なぜこれがすばらしいかという説明が追いつけないまま、鑑賞者は作品を受容するようになった。もちろん、あとからそれをなんとか言葉にしようとするわけですが。たとえばピカソなんて、ひとりでどんどん画風を変えていってしまうわけで、理屈は追いつきません。
そうした芸術を享受するには、観る側も判断を体感的なものに切り替えていくしかありません。何かわからないけど圧倒されるものがすばらしいのだと。
これはすなわち、芸術表現が民主化されていく過程です。しびれるという体感はだれでも持っていますしね。人は『これよくわからないけど、とにかくしびれる!』と、美をジャッジし始めました。
いい・悪いの根拠が体感になったおかげでモダニズム芸術は世界的に広まりました。この感覚が、戦後にも続いている。世界を席巻したロックなどはその典型ですよね。理屈じゃない、聴いたときに背筋がゾクッとしたら、これだ! と好きになる。そうやって楽しめばいいということになった」
体感という生理機能をもとに社会のシステムがかたちづくられていって、20世紀後半にはほとんどのものがそうしてジャッジされていくこととなる。しびれるものは圧倒的に人を惹きつけるので、大きなビジネスがその基準によって動いていったのだ。
しびれるような体感、これが日本語では「カッコいい」という言葉に集約されて広まっていったというのが、平野さんが『「カッコいい」とは何か』で展開している論である。
「そう考えを整理すると、自分でも自分の好みをうまく説明できて楽になりました。僕は10代のころからロックが好きでボードレールも好きでした。この嗜好はどうつながっているかわからず、別個に存在しているものと理解していたけれど、どちらも自分にとって強く体感できるものだったのだと考えると、両者をうまく接続できる気がしました」
同書はアートの観点から以外にも社会論、時代論、生き方論などなど、「カッコいい」という言葉と同じくとことん幅広く受け止めようがあるけれど、まずは新しいアートの読み方として大いに活用してみたい。