巨人の救援陣の失点が目立っていた今年4月、スポーツ紙のサイトに載った原辰徳監督の談話(4月18日、共同通信配信)が目に留まった。「逆に望んでいかないと。俺は求めるよ、1点差を」。
この人らしいなと思い、担当記者として取材した第1期政権の1年目がよみがえってきた。何かを回避しようという発想がないのだ。問題に向かって飛び込んでいかなくては打開できないという姿勢も、それを言葉にするところも変わっていない。
言葉の背後に攻めの姿勢がある
監督としての第一歩を踏み出した2001年の秋に「言葉に出さなければ、通じないことは多い。自分の意思をより強い言葉で伝えたいし、伝えないといけないと思う」と語った。国民的英雄、長嶋茂雄監督の後を受けての就任で、何をやっても「ナガシマでない」というだけでブーイングを受けそうだった。だが言葉を慎重に選ぶより、強い言葉を発信し続ける道を歩んだ。そして1年目で日本一となった。
「攻めの言葉」が特徴だ。言葉遣いが激しいという意味でなく、言葉の背後に攻めの姿勢がある。今回でいうなら、救援陣の調子が上がらない時に、なるべく前半でまとまった点を取っておかなくては、などという発想にはならない。救援の立て直しは避けて通れないもので、だったら今すぐそこにぶつかっていこうというメッセージを発するのだ。
「接戦」という抽象的な言葉ではなく、「1点差」という数字で語るのも原監督の言語感覚だ。担当記者時代の夏の日を思い出す。東京都内の運動公園を散歩する原監督に巨人の監督の重圧について聞いたときのことだ。「批判は覚悟の上だよ。世の中の人がどんなに味方してくれてもな、最大で49パーセントなんだよ」と笑顔で即答された。
普通なら「半分は批判」と言うはずだ。ポジティブな勢いを伴った独特の言語感覚が新鮮だった。これは名言だ、と別れてからすぐにメモした記憶がある。だが残念ながらこの言葉を使った記事は残っていない。独特の言い回しを「分かりにくい」とデスクが受け付けなかったのか。あるいは私が大事に取っておいて結局使わずに終わってしまったのか……。
「火中の栗」拾い続ける
原監督が巨人を率いるのは3度目で、通算13年目となる。2003年秋に自ら退いたが、その2年後に請われて復帰。2015年の退任時は、当時の白石興二郎オーナーが「新しい風を」と話したが、60歳でのシーズン開幕となった今年、4季ぶりにチームに迎えられた。
過去12年で7度優勝の手腕が求められているのはもちろんだが、「火中の栗を拾わないではいられない」性格を親会社に見抜かれているようにも見える。