WBC指揮で喜びを発散させていた
球団外でも「火中の栗」を拾ったことがある。2008年、翌年開催の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の監督候補だった故・星野仙一氏が就任を固辞。そこで引き受けたのが原監督だった。王貞治監督が率いた第1回大会は日本が優勝。「世界の王」の後を受けて連覇を期待される重圧は大きかったはずだが、代表を指揮する原監督はむしろ喜びを発散させていた。自信があったのだろう。狙いを言葉にして次々と発するスタイルが短期決戦のために招集されたチームに合致した。ダルビッシュ有投手の抑え起用など柔軟な采配で連覇を果たした。
今年7月30日の広島戦で、原監督は通算1000勝を記録し、ソフトバンクの王球団会長が祝福の談話を寄せた。第1回WBC監督として後輩を見守ってきた王会長は本質を突いている。「批判をみんな嫌がるけど、彼は人の批判を気にせず『自分がやんなきゃいけないことをやる』という信念を持って、やり通していることが立派」。王会長の目に今の原監督がこのように映るなら、それは初めて監督となった時から変わっていない証だし、第3期政権でも黄金期をつくるということだろう。
“迷言”が注目されるが……
ネット上では独特の言い回しを捉えて原監督の“迷言”が注目されることがあるが、実は長嶋監督のように次々とビビッドな言葉が出てくるわけではない。記者として私が感じたのは、行動をともなう言葉の面白さだった。例えばヘッドコーチ時代のことだ。原コーチは阪神の野村克也監督とよくグラウンドで談笑していた。野村監督はヤクルト時代からたびたび長嶋監督を“口撃”しており、巨人の関係者が近寄ることは少なかったし、野村監督も相手チームに対しては近寄りがたい雰囲気を発していた。
だが、原コーチにそんな雰囲気は影響しなかった。まず長嶋監督の下へ行き「監督、ノムさんにあいさつ行ってきます」。長嶋監督も「おう、よろしく」と応じていたという。ヘッドという肩書だけでなく、他のコーチとは次元の違う雰囲気があった。
名監督と言われる人は皆「行動の人」だ。原監督も例外でない。目の前に懸案や気になることがあれば、そこに向かって飛び込んで対処する。ただ原監督が特別なのは、行動の人であることを言葉で高らかに宣言するところだ。選手時代には自分に向けての言葉だったのかもしれない。それが監督としては、選手を前のめりに走らせる武器となっている。
原監督に初めて言葉を掛けられた日のことを記しておかなければならない。選手時代は、対戦相手の担当記者として見ることしかなかった。1997年の3月、米大リーグの春季キャンプが行われていたフロリダ州で、初めて接する機会があった。
あいさつをする私の丸刈り頭に手を伸ばして「これ自分で刈ったの?」と言ったのが、当時NHKの解説者だった原監督の第一声だった。頭に手を置かれたまま「いえ、床屋です」と答え、笑いが止まらなかった。その2日前、フロリダ東岸の田舎町で驚くほど雑に頭を刈られたばかりだったからだ。名監督となる人の「行動」と「言葉」に触れた瞬間だった。