猛暑が続く夏だが、将棋界における夏の風物詩と言えば、将棋まつりである。人気棋士による公開対局、指導対局、サイン会など、イベントが盛りだくさんだ。
8月16日から18日までの3日間、横浜市の京急百貨店で行われる「京急将棋まつり」。今年で21回目を迎えるが、その運営に携わる中村修九段に、将棋まつりについての話を聞いた。
急遽「勝った方が森内さんに挑戦としましょう」
「京急将棋まつりが始まったのは1999年ですが、その始まりは『横浜名人戦』にあります。今年で84回目を迎える、歴史あるアマチュア大会ですが、私の大師匠に当たる坂口先生(允彦九段)からの縁です」
――大会の最終日に横浜名人戦が行われるのが、恒例となっていますね。
「参加者が増えたこともあり、横浜名人戦の会場を探していた時にご協力いただいたのが京急百貨店です。そこから将棋まつりも始まりました。第1回は佐伯先生(昌優九段、中村九段の師匠)が中心で、私も参加しました。当時はゲストも少なく、佐伯一門か、神奈川県出身の棋士が中心でしたね。しばらくしてから、羽生さん(善治九段)のようなトップ棋士を呼べるようになりました」
――当時のことで、思い出されるエピソードなどを教えてください。
「当時六段だった渡辺さん(明三冠)が初めて竜王に挑戦した年だから、2004年の第6回ですかね。渡辺さんと、当時の竜王だった森内さん(俊之九段)を呼んだんですよ。その日は午前中に中村―渡辺戦、午後にメイン対局として森内―中村戦が組まれていたんですね。でも勢いのある若手だったということもあり、メインは森内―渡辺戦にした方がいいと思った。だから中村―渡辺戦の際に『勝った方が森内さんに挑戦としましょう』と急遽プログラムを変えました。結果として森内―渡辺戦になり、渡辺勝ち。私が急にプログラムを変えて、森内さんがイヤ~な顔をしたのを覚えています(笑)」
過去のプログラムには「将棋界の美しき戦士たち」
――8月ですから、竜王戦の挑戦者が決まりそうな時期ですね。
「今と比べると挑戦者決定戦の時期が遅かったから(今年は8月13日、23日、9月5日。2004年は8月30日と9月10日)、できたことですね。渡辺さんの挑戦が決まっていたら、さすがにそんな味の悪いことはしないですよ」
――中村九段が本格的に将棋まつりの運営に加わったのはいつからでしょうか。
「はっきりとは覚えてないけど、2007年の第9回からかな。当時のプログラムをみると、『将棋界の美しき戦士たち』と書いてある。いかにも私が作った題名で、佐伯先生なら書かないでしょう。私も今では恥ずかしくて出せません。これだけでなく、当時のプログラムを見返すと、色々ととがった文言を作っているなあ(笑)」