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特集観る将棋、読む将棋

「バナナを食べる後ろ姿にも気迫が……」永瀬拓矢叡王と対戦して感じた怖さ

2019/09/02

「将棋に才能は必要ない。努力だけだ」

 将棋界で天才といえば、加藤一二三、羽生善治、藤井聡太と名前が並ぶ。おおげさにいえば棋士はみな将棋の天才で、筆者も棋士の一人ではあるが、羨むほどの才能の持ち主ばかりだ。

 冒頭の言葉は、永瀬拓矢叡王のインタビューでよく出てくるセリフである。才能の世界と思われる将棋のプロの世界についてこう言い切るだけの精進を永瀬叡王は続けており、その努力が深い自信の拠り所になっている。

 ふだん永瀬叡王と話をしていても、言葉に自信を現わすことはほとんどない。しかし隠されたその自信は伝わってくるものだ。自惚れとは違う。普通の人間であることから遠ざかり、おごらず、自分を律し、「将棋に才能は必要ない。努力だけだ」と言い切るだけの努力を重ねているからこそ他人に伝わるのだろう。

 そしてそんなまがい物ではない自信に人は清々しさを覚える。だからこそファンも多い。

羽生善治、渡辺明という「王者の壁」

 プロ入り(2009年)から勝ち続けた永瀬叡王は、2016年棋聖戦、2018年棋王戦と2度にわたり強者たちを次々に下してタイトル戦で挑戦権を得た。 

2016年の棋聖戦。初のタイトル挑戦で羽生善治棋聖(当時)に2勝3敗と一歩及ばす

 永瀬叡王のあふれる自信は強者たちにも伝わっていたと思う。若者の気迫が強者を震え上がらせてこそファンは沸く。勝負の世界はそれが健全だ。

 そして2度のタイトル挑戦はいずれもフルセットまでもつれこみ、おおいに盛り上がった。しかし永瀬叡王はいずれもあと一歩のところで届かなかった。

 普通のプロ棋士が味わうような挫折であれば、永瀬叡王にとって人生を左右する出来事にはならない。しかし、羽生善治、渡辺明と時代を作る王者が相手だったとはいえ、頂点にあと一歩届かなかったという事実に、永瀬叡王といえども少なからずダメージを受けたはずだ。

 自らが自らの努力を否定しかねない出来事で、普通の人間であれば努力から目をそむけていたかもしれない。20代前半という多感な時期でもあった。

 それでも永瀬叡王は努力を続けた。

 そして努力は裏切らなかった。永瀬叡王は2019年5月に悲願の初タイトルとなる叡王を獲得したのだ。

2018年度の叡王戦決勝で高見泰地叡王(当時)に4連勝。見事に初タイトルを手にした ©共同通信社

AIを狂わせた気迫の「角不成」

 2015年に行われた人間vsAIの電王戦FINALに、永瀬叡王は人間側の5名のうちの一人として出場した。

 電王戦FINALは最後の団体戦と銘打たれ、棋士側は将棋AIに勝ち越すことを至上命題とされていた。