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会場を訪れる人の6割は女性!

 闘い終わった牛は、互いにやりきったという満足感にひたる。場外の草地で寝そべるなど、牛本来ののんびりした姿に戻る。

 こうしたことから、近年女性に人気が出ており、「会場を訪れる人の6割は女性」と事務局の久慈市役所山形総合支所、谷地彰・産業振興係長(44)は説明する。

場外につながれた牛に女性が群がって写真を撮る

 琥珀どらごん(3歳)の所有者でもある葉阪(はさか)裕子さん(60)が魅力を語る。

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「闘いはメスを争うオスの本能です。しかし、闘牛で勝っても、牛は何も得られません。なのに本能の赴くまま、命をたぎらせて、ただただ闘う純粋さに、胸を打たれます。いつもは優しくて、おっとりとした牛ばかりです。ブラッシングをしてやると、『まだやってよ』と体をすり寄せてきて、まるで子供みたいなところもあるんですよ」

男前の琥珀(こはく)どらごん。優しい目で見る葉阪裕子さん

日本短角種の最大の産地で行われる闘牛

 約15人いる勢子の一人でも、華麗な手綱さばきから「闘牛界の牛若丸」と称される畜産農家、柿木敏由貴(かきき・としゆき)さん(46)は「平庭闘牛ならではのやり方には、歴史と文化に基づいた理由がある」と言う。

 久慈市山形町は、平成合併前の山形村だ。旧村役場は太平洋岸から25キロほど離れた山中にあり、1000メートル級の山が連なる北上高地の北端に位置する。

 一帯では4種類の和牛のうち「日本短角種」が飼われており、日本最大の産地になっている。

突っ立っているように見えるが、両者間合いを測っている。この後、一瞬でガツンと組む

 日本短角種の体は褐色で大きく、オスの成牛の体重は1トンほどになる。

 もとは土着の「南部牛」として飼われていたが、明治期に外来種のショートホーンなどと掛け合わされ、今の形になった。

かつてはリーダー牛を決めるために角突きが行われていた

 南部牛は古くから運搬に用いられてきた。太平洋岸の塩を内陸まで背負い、江戸時代に製鉄が盛んになると粗鉄を関東や越後に運んだ。

 運搬時は7頭で隊列を組んだが、「ワガサ」と呼ばれるリーダー牛が群れを率いたので、牛追いはこの牛をコントロールするだけでよかった。ワガサを決めるために行われたのが角突きだった。

「闘わせてくれ」。闘いに向けて牛の興奮が高まる

 また、山形町では今でも夏期は山に放牧して牛を自然交配させている。かつては牛を放った時に喧嘩をしないよう、里で角突きをさせ、序列を付けてから山に上げていた。

「叩きのめすほどの勝負は、むしろ必要ありません。牛は生活のパートナーであり、愛でる対象でもありました。女性はこうしたところにひかれるのではないでしょうか」と柿木さんは分析する。