第二のガス事件と並ぶ「墓地事件」
更に疑獄事件は、市営東部墓地(俗に八柱霊園といわれる場所)問題に飛んだ。千葉県葛飾郡八柱村の墓地購入に関する容疑だ。
此の敷地は約20万坪あり、地主は吉田甚左衛門外数名が所有していた。市の予算としては坪3円であったが市参事会で揉んだ結果1円75銭で買収することに決定した。同地方の相場から言うとなお60銭ばかり高いというのだ。そこに贈収賄が行われたとの見透しで、吉田甚左衛門や市参事会員数名が起訴された。
昭和9年4月11日、東京地方裁判所の判決言渡しがあった。鈴木寅彦は懲役6月執行猶予3年、白上佑吉は懲役10カ月、大神田軍治は懲役1年2カ月、前助役十時尊は懲役3カ月、地主吉田甚左衛門は懲役3カ月(執行猶予3年)前市議八田茂以下15市議は懲役2か月から5カ月までで3名の無罪もあった。
「市会議員と言えばいつも悪いことをしている人間のように考えられては」
昭和5年5月30日、永田秀次郎氏は堀切善次郎の後を享けて2回目の東京市長となったが、その頃市会議員の地方視察が盛んに行われた。
それぞれが地方へ行く毎に話題を残して来るので、或時、私は永田市長に、
「貴方が就任されてから、市会議員の大名旅行は盛んとなったように思えます。市長はこれを自粛さす手はないのですか」
と訊いた、
永田市長は「これは書かれては困るが――」と前提してしみじみと市長としての心くばりを次のように述べた。
「大名旅行はたしかに怪しからぬ。新聞ではどしどし攻撃して貰いたい。しかし市長としては、なるべく地方を見て来るよう言って、許しているのだ。私の心配に堪えないのは、市会議員が、裏で悪いことに手を出すことだ。これで怪我をするとその人は一生を台なしにする。私はそれを心配している。視察旅行のように、名分の立つことをやっているのは、金も知れているし、それに悪いことをする気持を転換させるに役立つというものだ。君らの方ではどんどん攻撃してくれ、しかしもし一歩でも悪いことに足を入れている者があれば、私としては心外に堪えぬ。市会議員と言えばいつも悪いことをしている人間のように考えられては、市の権威はなくなる。私の苦衷を察して貰いたい」
と述べた。私は市長がその時、眼をしょぼしょぼさせ乍ら語った印象の深い話を今でも思いだす。
この2つの疑獄事件に対する検事のやり方もいろいろ耳に入った。拷問こそやらないが、10時間打っ続けて取調べるなどということも一種の拷問だ。「お前は」とか「貴様は」という言葉がいつも使われたそうである。
今の地検はそれから見るとずっと民主化されている。それに拷問に類することもやらない。今度の疑獄事件に対しても、田尻市長ではないが「鰯のようなものだけで鯨でなくとも鮪ぐらいは逃さないようにしたい」と都民の一人として願わずにはいられない。
(朝日新聞編集局嘱託)
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