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かつて日韓の間を奔走していた瀬島龍三

 日本だって、そんな韓国を一方的に馬鹿にすることはできない。日韓外務次官協議の提案は、外務省なりに頑張った結果だと思うが、いかんせん、政治家たちがついてこない。今、「日韓関係の改善」を声高く訴える日本の政治家が一体何人いるだろうか。

「文藝春秋」9月号にも寄稿したが、日本も韓国も現在、政治家の力が強すぎて外交チャンネルはほとんど機能していない。なんとか、安倍晋三首相と文在寅大統領との間をつなぐ人物が現れないものだろうか。

瀬島龍三氏 ©文藝春秋

 私は8月、ソウルで韓国財界OBの1人と食事を共にした。彼はその昔、瀬島龍三元伊藤忠商事会長と親交があった。瀬島氏といえば、朴正熙政権や全斗煥政権時代、日韓の間を往復して首脳外交を助けた人物として知られる。中曽根康弘元首相が1983年1月、首相就任後初の外遊先として韓国を選んだ際、そのお膳立てをしたのが瀬島氏だった。

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 瀬島氏は元大本営参謀。朴、全両政権には日本軍で教育を受けた幹部が大勢いた。町田貢元駐韓公使も「両政権の人々にとって、瀬島龍三はあこがれの存在だった」と語る。その声望を生かし、瀬島氏は中曽根訪韓のほか、1973年の金大中氏拉致事件、1986年に起きた藤尾正行文相による歴史教科書発言問題など、軋轢が生まれるたびに、日韓の間を奔走した。

中曽根康弘氏 ©文藝春秋

「瀬島さんには色々なことを学びました」

 瀬島氏はよくソウルの新羅ホテルを利用し、そこの日本料理店「有明」の常連客でもあった。財界OBはそこで、瀬島氏の薫陶を受けたという。

「瀬島さんには色々なことを学びました」。こう語る財界OBが教えてくれた瀬島氏の言葉は、今の日韓首脳には耳の痛いものばかりだった。

 瀬島氏は、「日本は大衆民主主義を欧州から導入し、花を咲かせようとしていたが、軍が実権を握って天皇を操った」と語り、戦前の軍国主義への反省を語った。「自分も大本営に就職したような気分でいた」とも述べ、時代の流れに抗えなかった自分を素直に認めたという。