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連載昭和の35大事件

「戦争不拡大・反東条」を主張したカリスマ軍人・石原莞爾はなぜ“満州事変”を計画したのか

2019/09/15

解説:天才か異端児か 石原莞爾が満洲で繰り広げた謀略の実態は?

 現代の日本人が、70数年以上前の日本人にとって「満州」(現中国東北部)がどんな意味を持っていたのかを想像するのは難しい。戦争の結果を見れば、そこにすさまじい悲劇を見るのは当然だが、ゆかりのある人々にとって満州は、いまも痛切で複雑な感情をよびさます土地だ。「満州」はもともと民族名だったのが地名になったとされる。現在の中国・遼寧省、吉林省、黒竜江省、内モンゴル自治区東部を合わせた地域。かつては愛新覚羅一族が支配していて、それが中国全土を収めたのが清王朝。清は中国の五行では「水」が表象なので、本当は「満州」ではなく「満洲」が正しいという。万里の長城最東端の山海関より外という意味で「関外の地」、厳寒の自然環境から「不毛の地」とも呼ばれた。

自治指導本部建国宣言のポスターを貼る様子(満州国) ©文藝春秋

資源豊富で人口が希薄な満州は「夢の土地」だった

「十万の英霊、二十億の国帑(こくど=国家財産)」「満蒙特殊権益」「満蒙はわが国の生命線」。これが戦前戦中、満州の重要性を指摘するために、日本人の間で語られた3つの象徴的なキーワードだ。日清、日露戦争で日本軍は満州を舞台に激烈な戦闘を繰り返し、血を流して多くの人命を失い、膨大な国家予算を費消した。それを忘れるな、というのが「十万~」の意味。そして、その結果、日本は満蒙(満州と内モンゴル)に特別な権益を持ったというのが「特殊権益」。具体的には(1)関東州の政治的・軍事的・経済的な施設経営(2)南満州鉄道(満鉄)付属地の行政施設(3)撫順などの炭鉱経営――などだった。そして、「満蒙はわが国の生命線」は、満鉄総裁を務め、その後外相となる松岡洋右が政友会議員として国会で演説した中で言い出した。「今日の満蒙の地位はわが国にとっては単に国防上重大のみならず、国民の経済的存立に欠くべからざるものとなっている」(「動く満蒙」)ことを意味している。

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 国土が狭く、資源に乏しいのに人口が多い日本にとって、面積広大、資源豊富で人口が希薄な満州はかねてから「夢の土地」だった。さらに、そこを押さえることは、対ソ連(当時)戦略上も、そして朝鮮支配にも有益とされた。軍国主義が蔓延する中、日本の資本階級や軍部は、満州を中国から切り離して領土化し、資源を手に入れるのを虎視眈々と狙っていた。そこに登場するのが、「帝国陸軍の異端児」「軍事の天才」と呼ばれた石原莞爾という軍人だ。「満州事変」は彼の構想によって引き起こされたといっていい。

石原莞爾 ©文藝春秋