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連載昭和の35大事件

「戦争不拡大・反東条」を主張したカリスマ軍人・石原莞爾はなぜ“満州事変”を計画したのか

2019/09/15

太平洋戦争の引き金となる「柳条湖事件」へ

 この花谷元中将は、昭和の軍人の中でも特に悪名の高い人物で、例えば、鉄道爆破後、森島守人・奉天(現瀋陽)領事が奉天特務機関に駆け付け、「外交交渉で解決できる」と話すと、いきなり軍刀を抜き、「統帥権(天皇直属の陸海軍の軍令権)に容喙するものは容赦しない」と恫喝したという(森島守人「陰謀・暗殺・軍刀」)。その後、師団長時代は、いまで言うパワハラを日常的にふるい、多数の部下を自殺や病気に追い込んだとされる。それにしても、本編で「勿論日本は満州を領土とする意志があってはならぬ」と語るなど、臆面もないというしかない。

花谷正 ©文藝春秋

「満州事変はこうして計画された」によると、実行行為に至る経緯は大筋でこうだった。「昭和六年春ごろには柳条溝事件のおよその計画が出来上がっていた」。「満州事変を遂行した中心は何といっても石原であるが」「このころには既に軍事学の立場に立った一つの世界観を持っていた」。石原、花谷と、その後高級参謀として着任した板垣を中心に計画が進む。彼らは張作霖爆殺事件で満州南部を制圧しようとして失敗したことから「二度と過ちを犯してはならない」と周到に計画を練っていく。朝鮮軍や陸軍中央に同志を募り、信用できる人物を次々引き入れる。動きを察知した陸軍中央から「止め男」として派遣された建川美次・参謀本部第一部長を奉天の料亭に連れ込んだ。その間に“実行犯”の中尉が部下とともに現場に行って、満鉄線路の一部を爆弾で小規模破壊した。同時に奉天城を始め、営口、鳳凰城、安東などを制圧。満州南部の要地を抑えた。朝鮮軍も越境して進入。さらに全満州を占領しようとしたが、陸軍中央の反対に遭って不成功。しかし、その後も軍は増派を続け、これがその後に続く日中全面戦争――太平洋戦争の引き金となる。

日中戦争 ©文藝春秋

「時期としても方法としても決して誤っていたとは思えない」

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 花谷元中将は「満州事変はこうして計画された」でこう書いている。「あの時、満州事変を起したことは、時期としても方法としても決して誤っていたとは思えない」「世界情勢の危機にあって、日本の進むべき道は満州の中国本土からの分離のみである」「虐げられた満州住民に王道楽土を建設してやることが、東亜安定の最も好ましい政策であると信じたのであって、中国本土と果てしない大戦争に入るという愚を冒すつもりは毛頭なかった」……。この文章は元中将の口述を基に、雑誌編集部が構成。必ずしも証言とはいえないようだが、それにしても、戦後11年たった時点でこの自己弁護と居直りはどういう神経だろう。