泳げないということもあり、私は海が苦手である。チラリと目にするだけで恐怖を覚えるくらいで、いわゆる海洋文学も受けつけない。大海原で巨大鯨に立ち向かう古典的傑作『モービー・ディック(Moby-Dick/白鯨)』なども冒頭の数行で放り出したままなのだが、一字違い(英語で)の本書はすんなり通読できた。「海」というものを初めて体感できたような気がしたのである。
著者は神学校の元国語教師。生徒が書いた作文に触発され、難破したコンテナ船から大量に流出したおもちゃの行方を追い始める。おもちゃとはお風呂にプカプカと浮かばせて遊ぶプラスチック製のアヒル。なんでも大自然に浮かぶ「不自然な色彩と形状」こそ美しいと感じたそうなのだ。
彼は「ビーチコーマー」と呼ばれる漂着物収集家たちと出会い、海が漂流物にあふれていることを知る。
漁具、自動車のホイール、靴、ビン、電子レンジ、テレビのブラウン管……、そして漂流物の大半を占めるのがプラスチック片だ。それらは海流に乗って海岸に打ち寄せられたり、渦巻くように北太平洋の「巨大ごみベルト」一帯に滞留する。水に溶けないプラスチックは微粒子となり、魚などが食べることによって生態系を破壊する毒素となる。ある調査によると、その乾燥重量はプランクトンの六倍にも及ぶらしい。海は「広いな大きいな」などと歌われ、かつては永遠や無限の象徴とされてきたが、今や狭苦しいごみ捨て場と化しているのだ。
などとまとめてしまうと環境保護を訴える本に思われそうだが、決してそうではない。登場する運動家や科学者たちは偏屈でその主張もなにやら怪しげな気配が漂う。信じるに足るのかと考え込んで船に同乗して腰痛に苛まれたり、出産を控えた妻に思いを馳せ、こんなことをしている場合か? と後悔したりする。
プラスチックを批判しようにも彼自身の幼少期を彩っていたのは他ならぬプラスチック製の玩具。理想郷である「エデンの園」もその鮮やかな色彩で感得したといえるのだ。実際、プラスチックは登場した当初には「奇跡の物質」として讃美された。安価な上に使い捨てされることが経済成長を促したわけで、今の自分はプラスチック由来だと気づかされる。製造の安全基準についても中国の玩具工場で調査に乗り出すと、工場主に「わたしは誰も殺してなんかいない。アメリカが爆弾で人を殺すようにはね」と反論されて絶句する始末。彼は常に弱腰。人々の欲望に飲み込まれていくようなのだが、おそらくそれが狙いなのだろう。
本書の文章は冗長なまでに漂っている。いったん足を踏み入れると海流さながら一気に深遠なテーマへと流される。海についての本というより、本書自体がひとつの海。そのせいか読了後、私はしばらく足元がふらついたのであった。
Donovan Hohn/1972年、アメリカ生まれ。作家、エッセイスト、編集者。ボストン大学、ミシガン大学で修士号。マンハッタンにある神学校の国語教員を経て、現在ウェイン州立大学で教鞭を執る。『NYタイムズマガジン』など各誌に寄稿している。
たかはしひでみね/1961年、神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。東京外国語大学卒業。『定年入門』『悩む人』など著書多数。