僕は、いい話は書けない。だったら、徹底して振り切った嫌な話を書こうと思ったのが『愚行録』
――なるほど。さて、社会問題を扱ったもののほかに、多重推理、推理合戦ものともいえる『プリズム』のように、推理小説が本当にお好きなんだなと思わせるものもありますね。
貫井 あの頃は本当に何を書いてもいいというオーダーだったので、嬉しくなって考えた話なんです。与えられた枠組みの中で何か面白いことはできないかなと思った時に、1回ごとに前の推理を覆すというのが面白いと思いついて。ただ、ミステリもいろんなタイプを書いていますが、綾辻さんがデビューしていなければ、綾辻さんみたいなものを書きたかったタイプですね、僕は。
――館シリーズみたいなものを書きかたったということでしょうか。
貫井 ええ、まさに本当は、ああいうものを書く小説家になりたかったんですよ。でも、僕が書いたって、綾辻さんのほうが面白いじゃないですか(笑)。島田さんが好きなのになかなかミステリものを書かなかったのだって、島田さんの小説を読んで諦めていたところがありますね。島田さんが書くものは天才が書くものだから、本格ミステリというものは本当に選ばれた才能のある一部の人が書くものだという意識がずっとあって、自分には無理だと思っていました。ですから横っちょのほうから本格っぽいものを書いてちょっかいを出す感じで書けないかな、というのが僕の創作活動だったんですけれども。最近は僕もすっかり、本格という感じではなくなりましたね。
――『被害者は誰?』(03年刊/のち講談社文庫)のような、ベストセラー作家と後輩の刑事のコンビのような本格ものもお書きになっていましたよね。
貫井 ああいうふざけた感じでないと書けないですね。もう本当に東野さんの後を追っていますね。東野さんもユーモアものを書くので、僕も書くという。
――かと思うと『愚行録』(06年刊/のち創元推理文庫)の頃から、人の心の動きというものを書くというイメージが強くなっていきます。
貫井 昔はトリックしか興味がなくて、トリックを際立たせるためにその人の心の動きを書いていただけなんです。最近はもう少し大人になったので、人の心をちゃんと書くようになりましたけれども。「最近やっと人の心に興味が湧いてきた」と言うと編集者に驚かれます。最近というか、ここ7、8年くらいでしょうか。
――え、じゃあ『愚行録』の頃はご自身はそれほど意識していなかったということですね。これは今度映画化されますね。
貫井 『愚行録』に関しては、ある時桐野夏生さんと飲んだんです。そこで桐野さんが、正確な表現は忘れてしまいましたが、「中途半端は駄目だ」と。「やるなら徹底してやらなきゃ」ということをおっしゃっていて。ああ、そうだなと思って。僕はいい話を書けないので、もう振り切って嫌な話を書こうと思ったのがきっかけです。桐野さんが言うなら、誰も喜ばない話でも振り切って書いてみようと。
――ある事件の関係者たちのことをいろんな人が証言していくんですが、証言者たちがみんな、なんかこの人嫌だなと思わせる感じがあって。事件の被害者たちが慶応大学の人間で、下からあがってきた内部生と外部生の格差や対立などが描かれています。実は私の出身大学なんですよ(笑)。
貫井 それは大変失礼いたしました(笑)。僕の高校の同級生の友達が慶応で、そういうことをたっぷり見てきたらしくて、その話をそのまま活かしたんです。今回ベネチア国際映画祭に出品されたので僕も行ってきました。日本的な内容なので海外の方は分かるのかなとスタッフの方とも話していたんですけれど、これが好評だったんです。それはどうしてかというと、僕の考えではヨーロッパやアメリカは人種や宗教の違いや階級制によって、分かりやすい差別が生じる余地がある。日本は外国から見ると単一民族だし、江戸時代の身分制度が残っていないのに、そんな日本に見えない格差、見下す見下されるという関係があることがすごく興味深く思えたんじゃないかなと。