誰か一人悪い人がいたほうが分かりやすい。そうじゃないほうが怖い
――『愚行録』と同じ06年に『空白の叫び』(のち文春文庫)を発表されています。これは少年犯罪で捕まった14歳の少年たちが罪を犯してからのその後が描かれます。“裁かれない罪”というのも貫井さんの作品の中で大きなテーマになっているように思います。
貫井 そうですね。ミステリ作家である限りは犯罪を描くわけですけれども。自分はゲーム性に特化した小説では生き残れないと見切りをつけていたので、なんらかの付加価値のある小説にしようと思ったんです。読んだ人に少し考えてもらえるようなテーマ性のある小説を書かなきゃいけないんじゃないかと思っていました。少年犯罪に巻き込まれる方はごく一部なので多くの方にとっては身近ではないと思いますが、そういう方になぜ少年が罪を犯すのか、更生というものにはどういうプロセスがありうるのか、といったことを考えるひとつの材料になればいいなという気持ちがありました。付加価値を与えるというのは『空白の叫び』に限らず、他の小説もそうですけれど。
――『慟哭』や『神のふたつの貌』(01年刊/のち文春文庫)や『夜想』(07年刊/のち文春文庫)など宗教を扱うものも多いですね。
貫井 先ほども言いましたが、僕自身が宗教を信じない人間で、信じる人の気持ちがまったくわからないので心情を書くことで理解しようとしているんですね。僕は早稲田大学出身なんですけれど、高田馬場の駅前に「祈らせてください」という人がたくさんいて、なんだろうこの人たちはと思っていたことが『慟哭』につながっていきました。
――そして冤罪を扱った『灰色の虹』や、悪意のない大勢の人々のなにげない行動が事故へと繋がる『乱反射』(09年刊/のち朝日文庫)などがあって。社会派と呼ばれるのも分かります。『乱反射』は日本推理作協会賞を受賞されましたね。
貫井 『夜想』を書いた時に直木賞の候補になるかならないかという最終段階で落ちたらしいんですよ。その時に出た意見として「自分に関係ないと思えば関係ない話だから」というのがあったらしいんです。そりゃそうだなと。じゃあ「自分には関係ない」と言えない話を書こうと思ったのが『乱反射』なんです。
――『乱反射』で推理作家協会賞を受賞した10年、『後悔と真実の色』(09年刊/のち幻冬舎文庫)で山本周五郎賞も受賞されましたね。これは警察小説ですね。
貫井 『慟哭』がちゃんとしていない警察小説だったので、まあ、ちゃんとした警察小説を書こうという気がありました。というのも『慟哭』はデビュー前の若造が中途半端な知識で書いたので結構警察内部のことなど間違っているところもあって。それが宿題のように頭にあって、デビュー以来ずっと警察に関しての資料を集めていたんです。それで事実に基づいたリアルな警察小説を書いてみようという気持ちがありました。
――これも警察小説であり、本格ミステリでもありますよね。
貫井 これは「本格ミステリ・ベスト10」にもランクインしてすごく嬉しかったですね。ただの警察小説ではなく、本格としての骨組みがあるものを目指したので。その頃すでに警察小説はたくさん書かれていたので、そこにわざわざ僕が加わっていくなら差別化が必要だなと思ったんです。
――そして翌年、2010年には青春小説であり驚きのある『明日の空』(のち創元推理文庫)があり、『灰色の虹』で冤罪を描いていて。これは誰かに陥れられて冤罪になったというよりも、不幸な流れで冤罪になってしまう話で。
貫井 そういうほうが怖いなと思ったんですよね。誰か一人悪い人がいたほうが分かりやすい。責任所在が曖昧というのが一番嫌なんですが、それが現実だったりしますよね。周囲の誰も責任を取らない、持論を曲げもしないというのが冤罪の世界にはある。さっきと同じように「俺は関係ない」と言えてしまう話ですが、僕はそこにすごく義憤をおぼえます。法曹関係者に、こういういい加減な仕事をしていると報復があるかもしれないよというメッセージもこめました。
――人の心の複雑さを書いていると言いましたが、事件というものの複雑さも書かれていますよね。確かにそんなに分かりやすい事件って本当は少ないのかもしれません。
貫井 物事を単純化するのって、僕は本当に嫌いなんですよ。カテゴライズして、あの人はこういうタイプ、みたいなものの見方って。事件もそうですよね。たとえば犯人が精神病患者だったから、という理由で片づけてしまうのは納得がいかない。そういう複雑な現実を書きたい気持ちが毎回あるんです。