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明治元年から2018年で150年。僕の『百年の孤独』を書きます

――デビューして23年、今自分がどんな場所にいると思いますか。

貫井 そうですね、デビューした時には想像もできなかったくらい恵まれていますね。すごく運がよくて、周りの人たちのサポートに支えられています。

――スランプはなかったんですか。

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貫井 ありましたよ。『ドミノ倒し』の頃がまさにそう。あそこは最大のドツボでしたし、その前後も何回かありました。乗り越えるメソッドがあれば楽なんですけれど、結局逃げても駄目なんですよ。気分転換をしても何にもならない。だから何も浮かばなくても、ともかく机に向かって考える。それがいちばん辛いんですけれど、それしか打開策がないですね。あとはそうならないように、日ごろからいろいろアンテナを張っているという面はあります。その断片的な集積がいつか形になるので。だから社会との接点は大事ですね。

――今後書いてみたい興味あるテーマなどはありますか。

貫井 あまり小説を書く時に頭を使っていないんです。でも23年経ってやっと気づいたのは、先ほども言いましたが、僕はどうも人の運命を書くのが好きなんですね。部分的に切り取るのではなくて、がっと丸ごと運命を描くのが好きだということに最近になって気づいたんです。

『壁の男』なんてまさにそうですよね。彼の運命を丸ごと書いている。こういう話が好きなんです。今後も人の運命の変転みたいなのを書いていきたいなという気持ちがあります。これはもう目先の興味とかではなくて、小説家である限りはそういう話を書いていくでしょうね。そのことに最近やっと気づきました。

瀧井朝世

――今執筆中のもの、構想中のものはありますか。

貫井 ええ、それを意識して今プロットを作っているものがあるんです。ある時は共感しあい、ある時は反発しあうような二人の男の運命が絡み合う話です。僕が好きな手塚治虫さんの漫画に二人の男の話って多いんです。『アドルフに告ぐ』だって、子どもの頃親友同士だった二人のアドルフの話だし。それで、僕も次は二人の男の運命の変転を書こうと思ったんです。これは『ジェイ・ノベル』に連載する予定です。

 現在『小説新潮』で連載している「邯鄲の島遥かなり」は、ひとつの島の歴史です。これは一人の男の運命というよりは、もっと長いタイムスパンの話ですね。第1部、第2部……と分かれていて、その都度主人公が変わっていくんですけれど、第2部以降は第1部の主人公の子孫になるんです。全然ミステリじゃなくて、明治時代に始まる長い話なので各社の担当編集者に面食らわれました(笑)。2018年に明治元年から150年になるので、その150年間を描きます。あれです、ガルシア=マルケスの『百年の孤独』をやろうと思っているんです。

――『百年の孤独』はある一族とひとつの村の始まりから終焉までが描かれますが、そういう内容なわけですか。

貫井 明治元年の時点で島にすでに村があるんですが、そこにある一人の男がやってきたところから話が始まります。まだまだ連載は続くので、再来年くらいにちょうど終わるかなと思っています。

 それともうひとつは、『後悔と真実の色』の続篇。もう連載は終わっているんですけれど、全面的に改稿しているところです。来年の前半には出したいなと思っています。