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ソ連軍戦車に対して火炎瓶とシャベルで挑んだ日本軍

「失敗の本質」は「(ノモンハン事件は)当初、関東軍にとって単なる火遊びにすぎなかったが、結果は日本陸軍にとって初めての敗北感を味あわせたのみならず、日本の外交方針にまで影響を与えた大事件となった」と位置づける。

 事件の結果、日本は対ソ連戦を意味する「北進」を断念。東南アジアに資源を求める「南進」に大きくかじを切った。「ソ連恐るべし」の空気が強まり、日ソ中立条約締結に至る。さらに同書は、「(事件は)本来荒涼たる砂漠地帯における国境線をめぐる争いにすぎなかったが、第一次世界大戦を経験せず、清、帝政ロシア、中国軍閥と戦ってきた日本陸軍にとっては、初めての本格的な近代戦となり、かつまた日本軍にとって最初の大敗北となった」「やってみなければ分からない、やれば何とかなる、という楽天主義に支えられていた日本軍に対して、ソ連軍は合理主義と物量で圧倒し、ソ連軍戦車に対して火炎瓶と円匙(シャベル)で挑んだ日本軍戦闘組織の欠陥を余すところなく暴露したのである」と厳しく断じている。

前線での辻参謀(「ノモンハン」より)

 同書が言うように、事件からは多くの教訓と示唆が得られたはずだった。しかし、それはとても望み得ないことだっただろう。関東軍は事件1カ月前の1939年4月、辻少佐が起案した「満ソ国境紛争処理要綱」を正式な作戦命令として部隊に示達していた。それは次のような点を基本方針とした。

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▽ソ軍(外蒙軍を含む)の不法行為に対しては、周到なる準備の下に徹底的にこれを膺懲し、ソ軍を摺伏せしめ、その野望を封殺す

 

▽彼の越境を認めたる時は、周到なる計画準備の下に十分なる兵力を用いこれを急襲殲滅す。右目的を達成するため一時的にソ領に侵入せしむることを得

 

▽国境線明確ならざる地域においては、防衛司令官において自主的に国境線を認定して、これを第一線部隊に明示し、無用の紛争惹起を防止するとともに、第一線の任務達成を容易ならしむ

 

▽(第一線部隊は)事態の収拾処理に関しては上級司令部に信頼し、意を安んじてただ第一線現場における必勝に専念し万全を期す

 これでは、紛争惹起防止どころか、紛争を起こすのが目的としか読めない。

「戦争は敗けたと感じたものが、敗けたのである」

 これについて辻本人は「『負けてはならぬぞ』との責任感は当然の結果として全関東軍将兵の決意を固めさせた。この命令は画期的な意味を持つものであった」と戦後の著書「ノモンハン」で述べている。関東軍は要綱を参謀本部にも報告したが、参謀本部は正式には何も意思表示せず、関東軍は容認されたと受け止めたようだ。これでは、国境線が不明確な以上、本格的な戦闘になるのは火を見るより明らかだろう。

 辻は事件を振り返って「かえりみて微力、統帥の補佐を誤り、名将の武徳を傷つけ、数千将兵の屍を砂漠に空しく曝した罪を思うとき、断腸切々、悔恨の涙は惜しからぬ残生をなげうって、在天の英霊に心からのお詫びを願うのである」と、大時代的な表現で反省の弁を述べている(「ノモンハン」)。しかし、それは本音だろうか。独断で戦場を離脱したとして自決に追い込まれた捜索隊隊長・井奥栄一中佐についての記述は人ごとのようだし、同書の最後にはこう書いている。「戦争は敗けたと感じたものが、敗けたのである」

戦後の辻政信 ©文藝春秋