「おっさんずラブ」脚本家の徳尾浩司さん。役者さんかな、と思わせるような長身でスラッとした軽やかなお姿がとても印象的でした。

 社会現象とも言えるブームを巻き起こした連続ドラマ「おっさんずラブ」。

 放送中にタイトルがTwitterの世界トレンドランキングで1位になったり、2018年の流行語大賞トップテンに選ばれたりと多くの点で話題になりましたが、ヒットの大きな要因の一つには脚本の素晴らしさがありました。

 この作品を産みだした脚本家の徳尾浩司さんは、いったいどんな人生を歩んできたのでしょう? その人となりをじっくりお伺いしました。

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さすが言葉を産みだすお仕事をされている徳尾さん。人を飽きさせない楽しいトークで、インタビューは終始なごやかなムードで行われました。

――どんなお子さんでしたか?

 小学校5、6年生くらいまでは身長が高くて、運動もまあまあできたほうだったんですけど、だいたい教室の中にいて漫画ばっかり描いていました。

 その頃は、「ドラゴンボール」が流行っていたんで、それっぽい話を描いて、それを学級文庫に置いておくとみんなが読んでくれるんです。

 連載っぽくして「続きはどうなるの?」って言われると楽しくて、すっかり作家気分でやってましたね。

――では、その頃の夢は?

 それはもう、漫画家です。

 小学校4年生の時にすっごく絵が上手な子が転校してきて、その子に絵を習っているうちに、絵を描くのが好きになったんです。

 漫画を描き始めたら、話を作るのもどんどん楽しくなっていって、「そうだ、漫画家になろう!」って思うようになりました。

「役者じゃないんで、写真はあまり撮られ慣れていないから……」と照れた表情が可愛らしいです。

――もうかなり出来上がってますね! 漫画は描き続けていたんですか?

 中学生になってからは、剣道部に入って、勉強も忙しくなったので、あまり描けなくなっていたんですけど、それでもちょこちょこは描いてました。

 高校生になってからも漫画は描いていたんですが、どうも絵が成長しないんです。

 この頃になってくると、等身大の面白い話が思い浮かぶようになってきていて。

 でも、絵だけはいつまでも子供っぽいというか、かわいい絵ばっかりで、作りたい話と描いている絵のギャップがだんだん出てきていました。

――それで、脚本家を目指すようになったんですか?

 高校の文化祭で、初めて舞台の脚本を書いたんです。

 その時に、「絵のキャラクターではなく、実際の人間を使った方が、今描きたい話を実現しやすい」という発見があって。

 あぁ、「脚本家」っていう仕事があるんだ。これは面白いかも、って思いました。