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「とにかく人に助けられて生きています」と語る徳尾さん。温かな人柄が周りを動かしてしまうんだろうな、と感じられました。

――その脚本を書くきっかけは何だったんですか?

 高校受験に失敗して、行きたかった学校に行けなかったんですよ。

 それでちょっと腐っていて(笑)。

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 成績はいいんだけど、そんなに友達ともワイワイやらずに、気づくと教室の隅っこで静かに本を読んでいる、みたいな子でした。

 その時の担任の先生は、毎年1年生を担任している先生で、そういう腐っている生徒を毎年見てきてるんですよ。

 それで僕のことも見かねて、「いつまでも腐ってても、しょうがないだろ」って、声をかけてくれたんですよね。

「俺のクラスは文化祭で毎年劇をやるし、今年も劇をやるって俺は決めている。だからお前が脚本を書いたらどうだ?」

 って言われたのが、脚本を書くきっかけになりました。

――すごく良い話ですね! 初脚本の評判はいかがでしたか?

 自分では面白いものを書いたつもりだったんですが、正直、半信半疑でした。

 クラスのみんなも、僕のことを「成績はいいけど、大人しくて、別に面白いって感じの奴じゃない」って認識だったので、最初は話も聞いてくれなかったですしね。

 でも、お芝居の稽古をしているうちに、だんだんみんなとも仲良くなっていって、腐っていた僕も友達の良さとかに気づいていって(笑)。

 脚本を書くのも楽しかったけど、みんなで作り上げていく過程も含めて楽しくて。

 「演劇って面白いな」って思ったのは、その時です。

高校生の頃には、既に脚本家への道を歩みだしていた徳尾さん。人を動かす楽しみを覚えてから、演劇への思いはどんどん強くなっていったそうです。

――それで、大学でも演劇をやろうと思ったんですね。

 そうですね。結局、高校の時に脚本を書いたのは、文化祭の劇だけだったんです。

 だから、大学は演劇活動の盛んな大学に行きたいと思って調べたら、早稲田(大学)には演劇サークルがいっぱいあるらしいと。

 それでとにかく、早稲田をいろいろ受けたんですよ。

 理工学部、教育学部、文学部、社会科学部、商学部……。

――(笑)。普通そういう受け方はしないのでは?

 とにかく早稲田に行きたい一心で(笑)。

 でも、高校の時は理系クラスにいて、実は理系科目しか勉強していなかったんですよ。

 だから社会とか勉強していなかったんで、文系の学部は当然ダメで。

 と言っても、理系の理工学部もダメで(笑)。

 結局、早稲田は全部ダメでした(爆笑)。

 辛うじて、慶應(義塾大学)には引っかかったんで、慶應に行くことにしたんです。

「実は東北大学も受かっていて、すごく良いところだったんですけど、どうも演劇をやってる学生がいなそうだった。それと、大学周辺の環境が良すぎて二度と帰ってこないんじゃないかと思ったんで、行きませんでした(笑)」ともお話しされていました。