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「死に方は自分で選べるべきか」で問われる安楽死の課題

簡単に「ジジイ早く死ねよ」と言うけれど

2019/10/04

 一方で、人間は社会的な動物であり、足りないものはお互いに補いながら生きていく存在であるとするならば、与え、与えられる関係が成立しなくなった高齢者が使命を終えたと安楽死を選ぶというのもまた、ひとつの解であるとも言える。誰も脅かすことのできない自己決定権があるとするならば、闘病や孤独や障害で自ら死を選ぶ権利もあるはずだ、と正面切って言われると「いや、自殺は良くないことだよ」と観念的な反論をするしかないのです。高齢者は自分の判断で死んでいいけど、働き盛りの年代で鬱病を患った人の自殺は許されないとか、死生観や社会の矛盾が凝縮されたような議論になってしまうのです。

 日本は豊かだと偉そうなことは言っているけれど、ほんの150年前までは飢饉が来たら娘を売り、働けなくなった高齢者は山に捨てに行ったという文化があったことは誰もが知っていることで、それが戦後に皆が喰えるようになって長生きできるようになって、今度は長生きが絶望の理由となったり、社会的に財政の問題の悪玉とされてしまうようになる。医療も社会制度も公衆衛生も、すべては皆が健康で長生きできるようにと発展してきた結果、日本は世界に冠たる長寿の国になったはずが、豊かになり子どもの数が減ると、途端にお荷物になってしまう。

選ばれるべきではない命、望ましくない人生……

 そこに絶対の「解」はない以上、肉親には「うるせえジジイ死ぬまで生きろ」とケツを叩きながら、最期に良い人生であったと思って逝けるような対話を深めていく以外にないのだろうと思うんですよね。それが畳の上であるかどうかはともかく、終(つい)を迎える幸福の形をもっと論じていけるような社会であってほしいと思います。

*以下余談*

 蛇足ながら、安楽死の話が出ると必ず障害者団体や自殺遺族の方の議論が出てきます。河合さんと宮下さんの対談でも、出生前診断のことも含めて、選ばれるべきではない命、望ましくない人生、失われた希望しかない老後といった、個別の話がたくさん出てきます。

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 必要なのは、私は「選択できること」であると思います。自殺を奨励するのではなく、自分の最期を自分で選ぶことができる世の中であった方が良いのであり、価値観を押し付けることなく自分の生き方をコーディネートできることの大事さはあります。そこに「迷惑文化」が仮に大きく横たわるのだとしても、重い自己決定を行うにあたり、なるだけその人の判断を尊重することが肝要なのだと思うのです。