昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

連載昭和の35大事件

「押し入れの中で骨を鋸で挽き……」残虐すぎる解体殺人を後押しした“背筋が凍る舌打ち”

「この足が母を蹴ったのだッ。そして妹の子を殺したのだ」

2019/10/20

source : 文藝春秋 増刊号 昭和の35大事件

genre : ニュース, 社会, 歴史, メディア

兄弟妹3人がかりの犯行 “ミスターバラバラ”は秋田の男性だった

 犯人は本郷区新花町3番地無職長谷川市太郎当時31歳、共犯は市太郎の弟で帝大土木科写真室雇をしていた長太郎当時23歳、それに市太郎の妹で銀座裏カフェー銀鈴の女給をしていたとみ子当時30歳の3人である。被害者ミスター・バラバラ氏は原籍秋田県仙北郡花館村南裏手240番地当時住所不定の浅草ルンペン千葉竜太郎当時30歳と判った。

バラバラ事件「大団円」。見出しがすごい(東京日日)

 兄弟妹3人がかりで、どうしてエンコのルンペン千葉竜太郎をかくも残忍な殺し方をしたか、当時の陳述記録の跡を辿って見る。この陳述は、多くの犯人がそうであるように、彼市太郎の場合も第1回目の陳述と、その後の陳述でいろいろ喰違いが出来たり、最初の陳述は口から出まかせの嘘でかためている。

 しかし、それが問いつめられるままに、事件の真相を語って、最後に恐れ入りましたとなる自白の定石型であった。従って第1回の陳述と、その後では違っているが、一応、話として興味あるので、まず、第1回の陳述から要点を拾ってゆく。

犯人と被害者の“感動の出会い”

 犯人市太郎は警視庁調べ室で被害者竜太郎と知り合った動機をつぎのように述べた。

 昭和6年4月末のある日、妹のとみ子から浅草公園花屋敷の入場券を貰ったので、花屋敷へ行こうと公園六区木馬館の前を通りかかった。木馬館からジンタの哀調を帯びたクラリオネットとらっぱ、太鼓の音が幟や旗のはためく街に流れていた。見るともなしに、木馬館手前の道端に眼をやると、一人のルンペンが10歳位の女の子供に泣きせがまれて途方にくれている。

©iStock.com

「お父ちゃん、お腹がすいたよゥ……」女の子は腹の底から絞り出すような声である。可哀想になって、市太郎が傍に寄って事情を聞くと、このルンペンが涙ながらに、家内に死なれ、自分も病気で失業し、娘を連れて路傍をさまよっていると語った。市太郎自身もよく知っている貧乏の辛さ、すっかり同情して現金50銭と煙草の朝日2個、娘にバナナを一と山買って与え帰宅した。家へ帰ってこの話を母親ふみ当時62歳に夕餉の膳に向いながら聞かせると、年老った母親も「そりゃあ、いいことをしたね。人間出来る時に人助けをしておくものだよ」と云って伜の市太郎を褒めてやった。翌日は母親がむすびをつくって浅草に出かけ『一直』の前で市太郎の話したルンペンに出会いむすびを与えた。それから、母親と市太郎ととみ子の3人が交替で毎日浅草のルンペンへ食物を運んだ。ルンペンの娘の菊子当時10歳は3人の妻を遠くの方から見つけて「おじさんが来たよ……」とうれしそうに可愛い声を出した。

 ルンペン竜太郎親娘と、市太郎一家の間に親しさが湧いて、間もなく竜太郎親娘は、市太郎の家に引取られて居候の身となった。とみ子は姙娠して男から捨てられ市太郎の世話になっている身の上だった。いつしか一つ屋根の下に起居するとみ子と竜太郎の間にかすかな恋の芽ばえが見えてきた。とみ子が難産で輸血しなければならなくなった時、竜太郎は喜んで自分の血をとみ子に輸血した。2人の恋はそんなことから急テンポに発展して、産後しばらくして結婚した。生れた赤ん坊には清と名づけた。