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「日本共産党の名誉を傷つけることまでやってのけました」

 そして、事件の歴史的な評価はどうだろう。「このギャング事件は、コミンテルン極東部が上海で検挙されたため、資金提供の途が絶えたことと、国内のシンパ網の相い次ぐ検挙によって極度の資金難に陥った共産党中央部が、非常手段による大量資金獲得を計画したもので……」。これは「警視庁史 [第3] 昭和前編」の「大森銀行ギャング事件」についての記述だ。これに対し、日本共産党の「正史」といっていい「日本共産党の八十年1922~2002」にはこうある。「天皇制政府は、日本共産党を弾圧するために、スパイを・挑発者を潜入させました。多くの党員がスパイの手引きで逮捕され、殺されました。かれらの手口はきわめて卑劣で、おくりこまれたスパイが党の幹部になり、『大森ギャング事件』とよばれた銀行襲撃を計画してそれに党員を動員し、日本共産党の名誉を傷つけることまでやってのけました」

銀行強盗逮捕を伝える東京日日新聞

 これは本編で「松村某」とされた当時の党幹部の正体と大きく関係する。実際、この事件について書かれたものの多くは「スパイ挑発説」をとっている。「弾圧下の日本共産党が党内に潜入したスパイの工作により党資金獲得のため東京・大森の銀行から大金を強奪した事件」(「日本近現代史辞典」)。「貧乏物語」で知られたマルクス経済学者で、この事件と密接な関連があった河上肇も、「自叙伝」で「日本ではかつて例のない事ではあり、その行動の大胆さと手際のよさは満都を驚倒せしめ、新聞紙の上では警視庁の度肝をも抜いたもののように報道されたものだが、実は、それは日本共産党の仕事だったし、しかも警視庁と緊密な連絡をとっていた官憲のスパイが党の要部に食い込んでいて、一挙に党の信用を破壊せんがため、かねてより計画的に用意した事件だったのである」と述べている。

新聞は競って共産党攻撃を続けた

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 当時、河上は地下に潜った直後で、共産党が指定したアジトに姿を隠していた。そこで、河上は大森ギャング事件後に「松村」とも会っている。「新しく入ってきた男は、小ざっぱりした洋服を着た三十がらみの、気の利いた顔付はしているがインテリゲンツィアとも労働者出身とも、私の目には見分けがつきかねた。ただ、私のすぐに気づいたことは、もう四十近くになっている大塚(有章)が、ずっと年下のこの男に対し、目立って丁寧な応接をしていることであった」「この男は中央委員に相違ないと、すぐ気づいた。ずっと後になって暴露したことだが、この男が前にも度々引き合いに出した中央常任執行委員としてスパイの頭領たる役割を演じていた松村で」「松村はポケットから百円札を一枚出し、当座の生活費だといって私にくれた。私はこの札も大森事件の断片だろうと思ったので、折り目のついた古い札ではあったが、封筒に入れて別にしまい込んだ」(「自叙伝」)