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「どうしたもやりたい」と頑張った人がいたからこそ

 当日午前9時頃と言われた開催可否の決定はずれ込み、午前10時をまわってもなお発表はなく、やきもきするような状態。簡単に発表できる状況なら予定時間通りに開催を発表したでしょう。いっそ止めてしまえば話が早いという気持ちであれば、やはり予定時間通りに中止を発表したでしょう。時間がずれ込むというのは、「困難ではあるけれどどうしてもやりたい」という想いで懸命に働いている人がいたからこそ。

 その懸命の働きに応える方法は「自粛」ではないはずです。大変な状況ではあるけれど、できることはやろう、元気な人は元気に生きよう、そしてその元気を足りない場所に回すのだ。2011年当時には、現地のものを買って「経済を回す」といった表現も印象的でしたが、どこかで生まれた元気もきっと届けることができる。食べることや寝ることが落ち着いてきたら、きっとそれが必要になる順番がくる。だから、できるかぎりやろう、そんな意識。「試合をやろう」と頑張った人がいるなら、それに応えるためにも精一杯「楽しむ」ことが観衆のつとめではないかと僕は思います。そうやって元気は広がっていくのだと。

©JMPA

 そんなスポーツの持つチカラを、選手たちも自覚していました。

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 試合を終えたあと口々に出てくる言葉たち。キャプテンのリーチマイケルは「僕たちの戦い、少しでも勇気与えたと思います」と想いを語りました。代表初トライをあげた稲垣啓太は「ラグビーで元気を取り戻していただきたい」と力強く言葉にしました。最年長トンプソンルークは「台風のあとラグビーはちっちゃいこと(中略)みなさん頑張ってください」と被災された方を思いやりました。そこには「こんなときにラグビーをやっていていいのだろうか?」という迷いのようなものは微塵もありませんでした。

 自分たちは自分たちの仕事としてラグビーをやる。そのことが巡り巡って復興であったり、元気を出すことにつながっていく。それはスポーツの持つチカラ、エンターテインメントの持つチカラを自覚し、「こんなときだからこそ」一層頑張らなくてはいけないと思う人たちの姿だったように思います。

 その堂々たる姿に僕は、ラグビー日本代表がベスト8に進んだように、スポーツというものもまた社会のなかでひとつ上のステージに上がったのかもしれないと思うのです。楽しむことは人間や社会にとって必要であり、スポーツにはその大きなチカラがある。こんなときでも、むしろ「こんなとき」だからこそ。そのことを、ラグビーをやり切った選手・関係者たちと、全力で楽しんだ観衆たちが、迷いなく示していたのではないかと。

 ラグビー日本代表は試合だけではなく、「不謹慎ではないのか」という迷いを寄せ付けず、「日常」を守る戦いに勝った。あのスタジアムにいた者のひとりとして、僕はそう思うのです。

©フモフモ編集長