ビームスの原点は「カリフォルニアの大学生」?
ビームスをちゃんと理解するには、1976年の創立に触れておかなければならない。当時のファッション業界はまだ若く、消費社会は3年前のオイルショックから復活しようとしている最中だった。メンズファッションは「ヘビーデューティー」というアウトドアスポーツに基づいた、ポスト・ヒッピースタイルとフランス的なダーバンのスーツが主流。アメリカから輸入された物品はまだ値段が高く、アメ横か米軍基地に行かなければ手に入りにくい時代だった。ビームスの創立者は米軍基地まで行けない人にもアメリカのファッショングッズの需要があることを知り、そこに目を付けた。
原宿の小さな八百屋の跡地に開店したビームスは「アメリカン・ライフ・ショップ」を目指した。つまり、カリフォルニアの大学生が使っている品物が全て買えるという店だ。70年代後半の日本人にとって、真似すべき人はパリやミラノの紳士ではなく、フリスビーを投げ、ラグビーシャツを愛着するUCLAの大学生だったのだ。ビームスが革新的なのはそのコピーを作るのではなく、アメリカから洋服やグッズ現物そのままを輸入したことだ。
雑誌『ポパイ』の創刊と共に盛り上がる西海岸とサーフィンのブームのおかげで、ビームスの小さな原宿店はすぐに成功する。更に、プレッピースタイルを扱う「ビームスF」も開店。それによりビームスのビジネスはフォーマルへも拡大したが、まだ世界の「クール」はアメリカ発信というのが大前提だった。そしてその常識を覆したのも、やっぱりビームスだった。
なんで日本人はそんなにオシャレなのか
81年にアルマーニなどヨーロッパのブランドを扱う「インターナショナルギャラリー ビームス」を開店、日本人のファッション嗜好をアメリカンからヨーロピアンに移行させるコース作りを完成させたのだ。数年後、その精神はDCブランドブームに反発する都会のオシャレな若者に支持され、確固たるものとなる。
その後の渋カジブームでもビームスはアパレル業界を先導したが、90年代に入ると、そのプロセスの裏にある思想が変わっていく。日本人は、西洋のファッションを上手にコピーする日本の服に興味があるのではなく、日本オリジナルの日本の服だからこそ好きになるのだ、と。そして若者たちは、「オシャレな日本をリードしているからオシャレ」という理屈でビームスに信頼を寄せていった。
「日本はオシャレだ」というのは、バブル時代に得た自信なのかもしれないが、その自信は勘違いではない。20世紀の終わりまで、カジュアル革命のせいで洋服をきちんと着る人が少なくなっていた他国に比べ、日本人は圧倒的にオシャレだった。東京へ観光に来た外国人は「なんで日本人はそんなにオシャレなのか」と不思議に思ったものだ。
私自身も、98年に初めて東京に来た時そう思った。少年時代は「アメリカは世界一かっこいい国」だとMTVに洗脳されていたが、東京の人はTシャツのサイジングも完璧で、ジーパンの質は世界一、スニーカーはレアものばかりで、アメリカ人よりずっとクールだった。そういったスタイルの服を扱っていたのが、当時のビームスだった。アメリカの大学に戻る前に初めてビームスに行った私は、その店内に興奮し、ヴィンテージ風のラグラン袖のシャツを購入した。