早稲田応援団の一部メンバーがグラウンドに乱入
早稲田の攻撃は0点で終わった。「もし9回裏の慶応が無得点に終わり、そのまま早稲田の勝利でゲームセットを迎えていたなら、これ以上の何事も起きなかっただろう」と「早慶戦百年 激闘と熱狂の記憶」が書くのは正しい。
ところが、9回裏、慶応に2点タイムリーが飛び出し、9-8でサヨナラ勝ちしたことで、事態は全く違う方向に進んでいく。「水原謝れ!」。木刀を手にした紋付き羽織はかまの早稲田応援団の一部メンバーが試合終了と同時にグラウンドに乱入し、1塁側の慶応応援団に詰め寄った。「水原は故意にリンゴを早稲田応援席に投げ返した。敵対行為であり、慶応の腰本寿監督と水原に謝罪を求める」というのが言い分だった。左翼席にいた応援学生も次々グラウンドに飛び降り、その数は約6000人に膨れ上がったというからすさまじい。
慶応の応援団席から指揮棒が奪われる「事件」
飛田穂州「早稲田大学野球部五十年史」は「事の起こりは9回表、慶応水原三塁手が守備についた時、早大側スタンドからリンゴの食いかけがころがってきていたのを、水原選手が拾って、2個早大学生応援席目がけて投げ返されたからである。しかし、その1個が学生の顔面に当たったというのである」と書いている。
これに対し「早慶戦百年 激闘と熱狂の記憶」は、「その瞬間は1塁側ベンチにいた慶応主将の牧野は『水原君はリンゴを右手でバックトスするようにして三塁側フェンスの方へ投げた。バックトスでリンゴが早稲田の応援席に届くはずがない』と証言する」と記述。「水原が著書に記した内容と一致する牧野証言により説得力を感じる」と慶応側に軍配を上げている。
騒ぎが大きくなったのは、混乱のどさくさの間に、慶応の応援団席から指揮棒が何者かに奪われてしまう「事件」が起きたからだった。それは銀のワシが頭に付き、「自尊」の文字が入った指揮棒で、当時の林毅陸・慶応塾長から応援団に贈られたばかりだった。
慶応の応援団は「指揮棒を返せ」と要求して早稲田側とにらみ合った。直接の衝突を防ごうと、夕闇迫る中、提灯を下げた警察官が約200人も動員された。混乱を避けるため、慶応の応援団が先に球場を後にし、衝突は避けられたが、騒動はその後も1カ月以上尾を引くことになる。