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 両校応援団はそれぞれ自校近くで会議を開き、いずれも強硬な対決方針を打ち出した。あくまで「水原の謝罪」を求める早稲田側に対し、慶応側は声明で「早稲田応援団が神聖なるべきグラウンドを蹂躙し、暴力に出たのは言語道断」とし、「吾人の態度は一言にて尽くす。『早稲田大学去らしむべし』」と、東京六大学リーグからの早稲田の除名を主張した。これに早稲田側は態度を硬化させ、「何の落ち度もない早稲田野球部を除名せよとは論外。審判に不服をとなえ、リンゴを応援団に投げるような選手を擁する野球部こそ除名されるべきだ」と反論した。

双方とも主張に固執

 10月23日付東京日日朝刊は「スポーツ精神に汚点」「応援団乱闘を演じ 早慶戦中止の危機 互ひに責任なすり合ひ 解決の見込立たず」「投げた林檎の波紋」の見出し。「両校応援団は興奮の極、遂に自制を失い」「空前の不祥事を惹起した」と厳しく指摘した。朝日の見出しは「遂に来た応援禍――早慶戦前途暗し 興奮をあふつた『林檎』一つ 幕切れの球場混乱」で、「一個のリンゴと一本のステッキ(指揮棒)によってかもしだされた『1933年早慶戦の危機』である」と書いた。

 他大学関係者も加わった東京六大学リーグ理事会が調停に入ったが、双方とも主張に固執し、なかなかまとまらなかった。10月24日付東京朝日夕刊には「抗争は深刻に 応援団交渉打切」という見出しが躍っている。早稲田野球部創始者で当時衆院議員だった安部磯雄は「先に手を出した早稲田が悪い」と認め、のちに慶応塾長を務める小泉信三は「名誉ある解決を」と語ったといわれる。

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早慶両校の交渉は難航した(東京日日新聞)

 折衝が繰り返されたすえの11月22日、リーグ理事会の勧告を基に、両大学が声明を発表。一応の決着を見た。

(1)早稲田野球部は、応援団が慶応応援団にした行為につき、深甚なる遺憾の意を表し、再発防止に努力する
(2)早稲田野球部長と監督は引責(辞任)する
(3)慶応野球部は、慶応選手が審判員と早稲田応援団にとった態度に遺憾の意を表する
(4)慶応野球部は1、2の選手の行為について適当な処置をとる。

 これが骨子で、おおむね「けんか両成敗」の方針に沿った内容だった。同日付東京朝日朝刊は「早慶の歩み寄りで リンゴ紛擾解決」と報じた。結局、早稲田野球部長は辞任。早稲田は1シーズン出場を辞退し、大下常吉監督も同年11月、辞任した。 

1カ月ぶりの解決を伝えた東京朝日新聞