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特集観る将棋、読む将棋

2019/10/31

――(笑)。道場をやめたら、将棋を指す機会が減りそうです。

西山 でも自分から毎日、将棋をやる感じではなかったんですよ。母に大会や教室を勧められても、「嫌だ!」といっていました。小学校のほうが楽しかったのもあるんですけど、たまに『将棋倶楽部24』(ネット将棋)をやるぐらいでした。そんな中、近くの羽曳野市で伊藤(博文七段)先生が教室を始められて、親に「車で送ってあげるから行かないか」といわれ、ようやく行くようになったんです。それが将棋熱の戻るきっかけで、楽しく将棋がやれたんですよね。妹弟子の奈々(藤井奈々女流1級)ちゃんがいて、当時から彼女は明るくて。その教室が奨励会を目指すきっかけになったので、師匠の伊藤先生には本当に感謝しています。

女流棋士ではなく、奨励会を選んだ理由

――将棋が楽しいというのは、いままでと違ったんですか。

西山 何でなんでしょうね……。女の子がいたのは大きかったかもしれないです。あと、伊藤先生が優しかったです。怒られたこともないですし、体調が悪くて突然休んでも、何もいわれませんでした。

 

 それでも、将棋のモチベーションは安定しませんでした。中学1年生で、中学選抜(全国中学生選抜将棋選手権大会)の推薦をいただいても、断りましたし。大きく変わったのは、周りに出場を説得されて、中学2年生のときに中学選抜の女子の部で優勝したことなんです。その頃は同年代の強い人達、例えば古森(悠太)四段、出口(若武)四段などが雲の上の存在で、自分の実力の正確な立ち位置がわからない状態でした。優勝して自信を取り戻せて、力試ししたい気持ちが出てきて、それで研修会(※)を受けました。研修会で連勝できても、自分の力がやっぱりわからず、師匠には女流棋士を勧められたんですけど、自分の力が通用するか試したいと思って、奨励会に編入ルートで入りました。

 両親は反対せず、「若い子が全力で将棋を指す場所だから、奨励会にいったほうが絶対にいい」と勧めてくれました。

(※アマ初段から五段ほどが在籍し、上位の研修生は奨励会に編入する権利、女性だと女流棋士3級の資格を得る)

――奨励会入会は2010年です。入ってみて、いままでと環境は違いましたか。