西山 高校の修学旅行と奨励会、あと女流棋戦の制度が変わって奨励会員も出られるようになり、リコー杯女流王座戦の予選が重なっていたんですよ。修学旅行で休む人もいたんですけど、私は奨励会員の理念に従って、奨励会を選んだんです。里見さんとの対局は緊張しました。女性との対局は、中学選抜以降はない状態でしたし、奨励会に入ったから女流棋界でもやれるんじゃないかという意識はあったので。当時の私は持ち時間1時間のうち10分ぐらいしか使わなかったんですけど、そのときは持ち時間を使いきって、間違いなく全力を出しきったのに、二転三転のすえに負けてしまったんです。逆転負けはそれまでなかったので、ショックを受けました。4級は壁にぶち当たり、1年ぐらい昇級が止まっていたので、思い直すことの多い時期だったと思います。
――何か取り組み方を変えましたか。
西山 人の棋譜を参考にするようになりましたかね。といっても、棋士の棋譜じゃないんです。当時は『24』で指しまくっていたんですけど、匿名でもユーザ名だったり、噂でだれか分かるんです。それで自分と似た振り飛車を指しているアカウントの棋譜を真似るようになりました。実は、私は奨励会初段で関東に移籍するまで研究会をやったことがなく、『24』と詰将棋だけでした。地方在住が多い関西だと、それも珍しくなかったんですけど。
「もう帰る!」心の中で号泣した記録係
――なるほど。ネット将棋で指すならひとりでいいから、男女の壁は感じなかったですか。男の子の輪に、ひとりだけポツンと入って将棋を指すこともないわけだから。
西山 そうなんですよ。同性の子がいると、同性特有の話ができてうれしかったぐらいで、男女の壁は感じなかったです。
――蛸島彰子女流六段のときは「女性だと指し分けの特別規定」がありましたけど、いまはないです。壁を感じるとすれば、持ち時間が6時間の順位戦の記録係(公式戦の棋譜を採る役割)でしょうか。終局が深夜になり、終電がなくなると将棋会館に泊まるひともいますけど、女の子だとできないでしょう?
西山 私は自分から順位戦を進んで採っていて、終わったら母親が車で迎えにきてくれました。初めて記録を採ったのは高校1年生のとき、持ち時間5時間の竜王戦の対局で、フルに持ち時間を使って持将棋になったんですよ。指し直し局も千日手になりそうで、体調も悪いのもあって、心の中で号泣しながら記録係をやっていました。結局、すべて終わったのは3時過ぎ。初回の記録だからミスが多くて8枚ぐらい書き直したし、めっちゃしんどくて、途中、車の母に連絡しにいったときは「もう帰る!」とごねたりして。長考派の先生の記録はいっぱい採りましたし、関西の長時間の記録はいい思い出がいっぱいあります(笑)。
――2014年1月、現行制度では女性として2人目、最年少の18歳7か月で初段に昇段されます。3月に高校を卒業され、4月から関東奨励会に移籍し、慶應義塾大学の生活が始まります。
(全4回/#2へ続く)
写真=佐藤亘/文藝春秋
にしやま・ともか/1995年6月27日生まれ、大阪府大阪狭山市出身。伊藤博文七
女流棋戦のタイトル戦登場は5回。2018年、第11期マイナビ
得意戦法は振り飛車で、豪快なさばきが持ち味。