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 これらのスキームを、全国約800の大学と約5000の高校の間にゆるやかに拡大していけばいいのではないか。

 大学と高校が1対1の排他的関係になってしまうと高校受験が激化してしまう怖れがあるので、学校の沿革や地域性を加味しつつ、幅広い選択ができるように、相互に複数の相手と手を取り合うようにしたほうがいい。

 私立大学と私立中高一貫校だけではなく、地方の国公立大学は、積極的に地元の高校と手を結ぶべきだろう。実際そのような動きも各所で起きている。

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 たとえば藩校以来の伝統を誇る山形県の米沢興譲館高校は、2007年から地元山形大学工学部との協定を結んでいる。米沢興譲館の生徒たちは放課後、大学の一部授業を受けることができ、もし山形大学に進学すればそれが卒業単位にも認められるようになっている。2019年2月には山形大学そのものとの提携を締結。さらに連携を強めていくことになった。地方ならではの地域性を活かした提携である。

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 ポイントは、国が主導するのではなく、個々の大学と高校がそれぞれに手を差し伸べ合う形で進めることだ。そのほうが、おそらく早く目的通りに改革が進む。

真の目的は「推薦入試・AO入試の拡大」である

 一方で、いまだにAO入試や推薦入試に対してネガティブな印象をもつ高校教員が多いという話を、特に地方でよく聞く。楽な道を選ばずに、大学受験を通して自己研鑽をしろという意味だとは思うが、それこそ時代錯誤な思い込みである。

 言わずもがな、推薦入試の資格を得るために毎回の定期テストでいい成績をとり続けることや、AO入試のために自分と向き合うことは、決して楽なことではない。

「嫌なこと、苦しいことを我慢してやり通すことに意味がある」という価値観の一般化を防ぐことこそ、長時間労働が常態化し、ブラック企業という呼び名まで登場し、生産性が著しく低くなっている現状を打破するために、教育のなすべき大きな役割といってもいいだろう。

 念のために断っておくが、「嫌なこと、苦しいことを我慢してやり通すことに意味がある」と思うことが悪いのではない。人生においてはそういう局面も必ずある。しかしそれはそのひとにとっての重要な局面でこそ意味を発揮する価値観であり、大学受験という機会に高校生を縛り付ける口実として一律に利用されるべきではないと私は思う。