現在公開中の映画『宮本から君へ』に対し、文化庁所管の独立行政法人「日本芸術文化振興会」からの助成金「芸術文化振興基金」の交付が内定していたにも関わらず、7月に交付が取り消されていたことが先日明らかになった。
交付は3月に内定していたが、出演者のひとりであるピエール瀧が麻薬取締法違反容疑で逮捕され、7月に有罪判決を受けたことを受け、「公益性の観点から適当ではない」という理由で内定取り消しとなったという。
「国が薬物を容認しているかのような誤ったメッセージを与える恐れがあると判断した」というのが振興会の言い分らしいが、つまるところ彼らは、薬物犯罪を犯した人間が出演する映画に助成金を出すことは「公益」=公共の利益には繋がらない、という判断をしたと言っていいだろう。
だが、そもそも『宮本から君へ』は、「公益性」というこのいまいち具体性に欠けた言葉にそぐう内容を持った映画なのだろうか?
結論から言うと、本作はその制作や鑑賞が、「日本芸術文化振興会」が言うような「公益性」に直結する、「正しい」映画ではないとわたしは考える。この映画は、「公益」ということばの対義語である「私益」を限界まで煮詰めていった先に何があるのかを考えるような、「正しくない」作品である。だがそこにこそ、この物語が持つ可能性がある。
この映画はそれこそ、言い訳のように「公益」ということばが持ち出されることに、おためごかしのように「みんなのため」という意味の言葉が持ち出されることに、ケンカを売るような作品なのだ。
過酷で苛烈なエピソードが続く
本作は1990年から1994年にかけて講談社「モーニング」に連載された新井英樹の漫画『宮本から君へ』の、2018年の連続ドラマ化に続く映像化作品である。原作後半部分の物語をベースに映画化した形となっており、過酷で苛烈なエピソードが展開される。
主人公である宮本浩と、その恋人である中野靖子のふたりを中心に映画は展開し、二人と真淵拓馬というキャラクターとの間に起きる事件が、物語の大きなキーになっている。その事件とは、宮本の取引先の人間の息子である拓馬が、宴席で出会った宮本と靖子を彼らの自宅に送り届けた後、泥酔して眠ってしまった宮本の横で靖子を暴行する…という衝撃的なものだ。この出来事を境として、物語が大きく動いていく。