原作と違うのは「家族が描かれている」こと
映画もそんな30代のキム・ジヨンを中心に展開していくが、原作と異なるのは、彼女を取り巻く家族とのやりとりや風景が丹念に描かれていること。そうすることで女性としての生きづらさが際立っていて、さらにその次をも模索しているところは原作とは違う物語になっている。
韓国紙記者(男性)は言う。
「原作はとても無機質で、登場する主人公ジヨンの夫や父親、職場の同僚など男性はすべて平面的に書かれていて正直、男性を一方的に責めるような作品でまったく感情移入ができませんでしたが、映画は主人公に起きていることは同じでも、男女を対立させるようなものではなく、どう共に生きていくかという家族の話になっていた。誰もがどこかで見たような、経験したような話がちりばめられていた。
男性の鑑賞率はまだ低いですが(女性70%、男性30%)男性が見ても自分の妻や母親、娘を思い出す。そんなところが観客動員につながっているようで、これからまだまだ観客動員数は伸びるといわれています」
キム・ドヨン監督は、映画化にあたって、「他人の声を借りて話していた女性が自分の声を探す叙事詩的なものに(物語を)再構成した」(韓国日報10月28日)と語っている。
劇中のシーンは日本でも目にしたことがあるものばかり
映画のシーンは日本でもどこかで目にしたり、聞いたことがあるようなものばかり。
ジヨンが子供を乳母車に乗せて、公園のベンチでコーヒーを飲んでいれば、見ず知らずの男性会社員に「俺もだんなのカネでコーヒー飲みたいなあ」と言われ、「ママ虫」と揶揄される。「ママ虫」とは夫の稼いだカネで自由に遊びまわる母親を揶揄する韓国のネットスラングだ。
再就職のチャンスが巡ってきても、ベビーシッターが見つからず、夫は育児休暇をとると言ってくれるが、姑からは「どれだけ稼げるのか」と反対され、夢を諦めてしまう。
子供がいる職場の女性上司は「母親が育てない子供はどこかで道を踏み違える」などとなじられても懸命に働くが昇進の壁は厚い。
教師になるのが夢だった母親は兄弟たちの進学資金を稼ぐため夢をあきらめ、家事の一切を切り盛りしているが、そんな家では常に男性が優先され、温かい食事の順番も父、祖母、弟と決まっていた。