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「僕が辞任したらトリエンナーレは崩壊する」の意味

――8月3日に不自由展を中止、8月中旬には複数のアーティストから展示中止の申し出があった後に、企画アドバイザーの辞任を表明した批評家の東浩紀さんは「津田さんも芸術監督を辞めたほうがいいんじゃないか」という提案をして、結局それが受け入れられなかったという話をしていました。一方の津田さんは「僕が辞任したらトリエンナーレは崩壊する」とインタビューで語っています(「webDICE」2019年8月24日)。

聞き手・辻田真佐憲さん(左)

津田 トリエンナーレへの関わり方と、責任の取り方に関する考え方の違いだと思います。東さんの場合は企画アドバイザーという立場で、そもそも具体的な細かい企画内容までは知らない立場でした。その上でトリエンナーレの騒動を見て、彼が考える責任の取り方は、まず謝罪をしたうえで、立場を退くことが重要であるというものだったのだと思います。

 その考えはもちろん理解できましたが、僕は、何よりもまずトリエンナーレを最後まで無事終えることを考えないといけない立場でした。今回の騒動が起きて、最後きちんと終われなければ、脅迫に屈した悪い事例を残すことになってしまいますし、内部からも「こういう問題のある芸術祭は次回からやめてしまおう」と、2010年から3年ごとに3回、4回と積み上げてきたあいちトリエンナーレの歴史が途絶えてしまう危険性もあった。何とかその事態だけは避けたかったので、厳しい選択ではありましたが検証委員会や多くのアーティストから「辞めろ」と言われるまでは続けよう、続けるしかないと思ったということです。

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 自分から辞任はしないと決めると同時に、8月中旬くらいから最終的な着陸先――どこを「ゴール」にするかずっと考えていました。検証委員会が立ち上がった以上、政治的にも、メディア対策的にもこれを無視するわけにはいかないので、検証委員会の動向を見ながら、次のステップに向かう準備を始めました。重要なのは何より不自由展の再開と、ボイコットの意思表示をしているアーティストたちにも全員戻ってきてもらうことです。トリエンナーレが開幕した最初の状態に戻したうえで、次回の開催が決定して、今回の騒動を教訓とした対策などがレガシーとして残る。ここまでできればゴールを迎えられる、着陸できると自分の中で決めていました。

 

――名より実を取るというか、名目上は辞任して裏方で協力するという選択肢は、津田さんの中になかったんでしょうか。

津田 それは東さんから強く勧められたアイデアですね。そのような手段を取り得るか確認しましたが、芸術監督は独立した立場なのでそもそも「降格」ということが想定されてないんです。芸術監督の職責とは、トリエンナーレ全体のトップに立つということで、そもそも僕は公務員ではありません。僕が2017年8月に芸術監督に就任してからは、業務委託のような形で全体のプロデューサーをやっていたわけで、単純に降格できるものではなかったという事情もあります。あとは降格できたとしても、誰が現場のトップになるのかという大きな問題がありました。キュレーターたちは炎上する現場の日常的な対応やボイコットを要求するアーティストたちとの交渉、日々予定されているイベントごとの対応に追われています。そもそもキュレーターチームはメディア対応をしている余裕がない。

 しかし、日々刻々と変わる状況について広報チームにはマスコミの文化部記者だけでなく、多くの社会部記者からも問い合わせが殺到していて、彼らも疲弊していました。取材が思うように進まずに苛立つ記者たちからの問い合わせに、降格した「現場の代表」ではない人間が勝手に答えるわけにはいかないですし、広報チームを守るためには何よりメディア慣れしている人間が矢面に立つ必要があった。その意味でも「辞任」や「降格」はできなかったということですね。

 同時に考えたのは、これだけ大きな騒動を起こしておいて途中で投げ出したら、参加アーティストたちが僕のことを許さないだろうということです。実際にその後何人かの参加アーティストたちからは「途中で津田さんが逃げたら、僕らは許しませんよ」と直接言われて、そりゃそうだよなと思いました。自分から辞めることも降格することもできない。僕が取り得る選択肢は最初からかなり限られていたんです。それを前提として、厳しい状況ではあるけれど、状況の改善に向けて自分のできることを淡々とやるしかないなと思ったということです。