この夏、国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が中止になった騒動の渦中にいた津田大介さん。日本とオーストリアの国交150年の記念事業として、現在ウィーンで開催中の展覧会「ジャパン・アンリミテッド」について、在オーストリア日本大使館が公認を取り消すなど、状況は刻々と変化しています。津田さん自身は、不自由展そのものや政治と文化芸術の関係についてどう捉えているのか。聞き手は、近現代史研究者の辻田真佐憲さんです(全3回の2回目/#3へ続く)。

津田大介さん

「津田が炎上マーケティングを仕掛けたんじゃないか」

――企画展「表現の不自由展・その後」(以下、不自由展)における「平和の少女像」など一部の展示物について、私は津田さんからお話を伺って事前に知る機会がありました。その時、津田さんは予想される反応をある程度把握しているような印象を受けましたし、「いちばんヤバい展開になるとしたらやはり『表現の不自由展・その後』でしょうね」(『公の時代』)などと各所で発言しています。それでも、これほどの問題に発展するという展開は予想外でしたか?

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津田 「津田が炎上マーケティングを仕掛けたんじゃないか」という話も出ましたが、まったくそういうつもりはありませんでした。会期中の75日間、ずっと継続してすべての作品展示を続けたかったというのが偽らざる本音です。不自由展は主にキュレーション面の批判にさらされましたが、ずれた批判であると感じます。狭いスペースに大量の作品が置かれていて、それはもちろんうまいキュレーションではなかったかもしれませんが、自分のなかでは全体で106ある企画のうちの1つでしかなく、残りの105と併せて見ることで内容が引き立つ博物館的な展示という位置付けでした。事前告知や議論については、警察や事務局から要請があったためそれをのまざるを得なかった(→#1。キュレーションを問題にする人には、「情の時代」という全体企画のなかで他の展示と併せて見た時にどういう効果を持つのか、そういう話をしてほしかったですね。

 内覧会で不自由展を見た美術関係者の評判は概ね良かったですし、「この展覧会はこの企画があるからこそ引き立つね」と言ってくれた人すらいた。「挑発的な展示」だったとしばしば報じられていますが、お客さんで実際見た人の感想には素朴なものも多く、「拍子抜けした」という内容も多かった。博物館的に、従軍慰安婦問題や天皇、政権批判といったテーマを扱った作品を美術館で展示できなかった経緯や理由とともに展示する展覧会で、これまで起こったことをどちらかというと淡々と伝えるものだったと僕は考えています。

「表現の不自由展・その後」で展示されていた「平和の少女像」 ©時事通信社

 事前にどれだけの反発を予想していたかという話でいえば、河村(たかし)名古屋市長の展示中止を求める発言(※1)については、もちろん予想していました。彼の慰安婦の問題についてのこれまでの発言などを考えると、当然何らかのリアクションがあるだろうとは思っていましたね。ただ河村市長が開催経費の名古屋市負担分を支払わないことを示唆したり、座りこみというパフォーマティブな形で発信したりしたのは予想外でした。河村市長だけでなく、複数の国会議員の発言の中には、驚くようなものもありました。政治家は、表現の自由に対して権力を行使できる立場であり、もう少し発言は抑制的であるべきだと思います。文化庁からの補助金不交付決定(※2)も、想像を超えたことでした。

※1 開幕2日目の8月2日、河村たかし名古屋市長が会場を視察。「日本人の心を踏みにじるものだ」と話し、展示中止を求めた。

※2 9月26日、文化庁が補助金約7800万円を交付しないと発表。萩生田光一文部科学相は「申請のあった内容通りの展示会が実現できていない」と説明した。

――今振り返って、不自由展をやってよかったと思いますか?

津田 「あのときああしていればよかった」というような逡巡はもちろんありますが、そんなこと後からは何とでも言えますからね。企画そのものをやったことへの後悔は一切ありません。「表現の不自由展・その後」を企画したことによって、結果として多くの人たちに迷惑をかけてしまったことには、申し訳ない気持ちがありますが、僕は2015年に江古田のギャラリー古藤で行われた「表現の不自由展」を実際に見て、こういったものを美術館で、公的な芸術祭で見たいと思ったことが全ての始まりなので、それを実際に来場した人たちへ見せることができたのは意味があったと思っています。3日間プラス1週間という限られた時間ではありましたが。