「少女像は絶対に必要なのか」
――9月25日に発表されたあいちトリエンナーレ検証委員会(以下、検証委員会)の中間報告で、表現の不自由展実行委員会については「かたくなな姿勢」であると評されています。作品や作家は話題になり、津田さんも記者会見やインタビューで発言を続けてきましたが、作家と津田さんの間にいる、5人の不自由展実行委員会のメンバーはどういった人たちで、コミュニケーションが難しいところはあったのでしょうか。
津田 基本的に彼らがやりたいことを、トリエンナーレという公的な芸術祭で実行することには難しい局面がたくさんあった中で、それを実現すべく、僕はずっと調整を続けてきたつもりです。ただ、残念なのは、一度は実現にこぎつけた不自由展を中止する決断を知事と僕がしたことで僕に対する彼らからの信頼が失われてしまったことですね。そのことが最後まで響いたとは思っています。不自由展実行委の方々の「かたくなさ」に原因を求める声もありますが、それは違います。本当に彼らがかたくなな姿勢を取り続けていたのであれば、そもそも企画が実行できていません。きちんとコミュニケーションできる方々ですが、彼らには彼らで譲れない一線があったということでしょう。
問題はその「譲れない一線」が5人とも違ったことで、より複雑な状況になったということだと思っています。不自由展実行委は代表を決めておらず、必ず全員の合意で物事を進めていました。このため、現場の大変な事情を伝えて現実的な落としどころを探ろうとする際に1人でも反対者がいると、その人の基準に合わせざるを得なくなってしまうところがありました。なので、これは彼らのかたくなさの問題というより、危機的な局面であっても、合議制で意思決定をすることの弊害が出てしまったのではないかと個人的には思っています。同時に彼らは、不自由展参加作家の代弁をする立場でもありました。不自由展実行委が現実的な対処策を模索しても、一部の不自由展参加作家が受け入れなかったケースもあったと聞きます。僕と同じように、彼らも作家とトリエンナーレの間で板挟みになり苦しんでいた部分もあったと思います。
「平和の少女像」は、社会関与型のアートとして優れた作品
――これは津田さんというより作家に質問すべき事柄かもしれませんが、特に話題になった「平和の少女像」(※3)と大浦信行さんの映像作品(※4)については、どう捉えていますか?
※3 韓国の彫刻家キム・ソギョン氏と夫のキム・ウンソン氏が制作。「表現の不自由展・その後」には強化プラスチック製とミニチュアの計2体の少女像が展示された。
※4 大浦信行氏は「表現の不自由展・その後」に「遠近を抱えて」(4点組)を出展。新作の映像作品「遠近を抱えてPartII」には昭和天皇の肖像写真を燃やすシーンが含まれている。
津田 「平和の少女像」について僕は、社会関与型のアートとして優れた作品だと思っています。あれは、まず横に置かれた椅子に座るという行為が何より大事です。目線の高さを同じくすることで、像の見え方がとても変わってきます。像は少女の姿で、慰安婦の過去を表していて、影がおばあさんになった現在を、肩にとまっている鳥が未来や希望を表しています。従軍慰安婦の問題は地続きの問題であり、過去、現在、未来について考えさせる作品だと思います。
とはいえ、プロパガンダとして利用されやすい作品であることも確かです。慰安婦像が韓国の日本大使館の目の前に置かれていることに対して「反日感情を煽る政治目的のプロパガンダだろう」という指摘には、頷ける部分もあります。しかし、同時にそれは作者の意図を離れた政治利用かもしれないとも思う。それくらいアートにとってはTPOが非常に大事で、作者にそうした意図がなかったとしても、置かれた場所によってプロパガンダ性を強く持つということですね。少女像のオリジナルは8月にボイコットした韓国の2作家(イム・ミヌク氏とパク・チャンキョン氏)と話す目的で韓国に行った際に実物を見てきましたが、そのときに思ったのは「美術館に持ってきてよかった」ということでした。つまり大使館の前で見ると生々しすぎる――あまりにも政治的な文脈が乗りすぎてしまって、純粋に作品としては鑑賞しにくい。それが愛知県美術館というホワイトキューブのなかではまったく違うものとして鑑賞することができた。これは両者を比較できた自分ならではの感想かもしれませんが、不自由展を見た人のアンケートなどでも似たような感想を多く見かけましたね。
――大浦さんの作品に関してはどうでしょう。
津田 大浦さんの「遠近を抱えて」は、1986年に富山県立近代美術館で展示、後に購入・売却された作品です。大浦さんが1975年からの10年間、ニューヨーク滞在中にアートの本場で厳しい思いをして、自分のアイデンティティが揺らいでいる時、向き合った結果自分のなかにある内なる天皇の存在に気づき、自画像としてコラージュした作品ができた。大浦さんはその後映画監督になりますが、つくっているのは靖国や新右翼をテーマにした作品です。ある意味で右派的な心性と近い部分があるにもかかわらず、彼らから攻撃されたわけですね。
今回は「関連する新作の映像(「遠近を抱えてPartII」)があって、一緒に展示しないと自分は取り下げる」という大浦さんの強い意向があったことで問題がややこしくなりました。新作を展示することは「展示不許可になった作品」というコンセプトからずれてくるので、難しい判断ではありました。大浦さんは朝日新聞のインタビューで「理解してもらえるかどうかは分かりませんが、僕にとって燃やすことは、傷つけることではなく昇華させることでした」「僕は今回の映像で、30年前から向き合ってきた『内なる天皇』をついに昇華できたと感じました。抹殺とは正反対の行為です」と述べています。それだけ大浦さんに切実な思いがあったということでしょう。今回のトリエンナーレは不自由展だけに限らず、可能な限り作家の意思を尊重するということを貫いてきました。その方針がもたらしたハレーションを象徴する出来事だったのかなとは思っています。