「表現の不自由展・その後」の展示中止が議論を呼んだ「あいちトリエンナーレ2019」。その閉幕後、津田大介さんはツイッターに「本業に戻ります」と記しました。ジャーナリスト、早稲田大学文学学術院教授など数々の肩書きを持つ津田さんは、何に戻り、これから進んでいくのか。聞き手は、近現代史研究者の辻田真佐憲さんです(全3回の3回目/#1、#2から続く)。
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「ルールは守らなきゃ」と思うことの「気持ち悪さ」
――「表現の不自由展・その後」を巡っては、あいちトリエンナーレ実行委員会や不自由展実行委員会、アーティストといったそれぞれの立場から見た「正義」の衝突が起こりました。その中心で苦悩した津田さんの思想的背景について伺いたいと思います。
卯城竜太さん(Chim↑Pom)と松田修さんとの鼎談(『公の時代』)で、津田さんは「もうすでにこの社会は20世紀とは異なるかたちのファシズムに突入してると思います。権威主義国でもないこの国で9割近くの人間が『ルールは守らなきゃ』って思っている。端的に言って気持ち悪くないですか?」と話していますが、こういう風に考えるようになったのはなぜですか?
津田 僕が行った都立北園高校の影響が大きいですね。校則と制服が一切ないすごく自由な校風で、僕が卒業した年に2ちゃんねる創業者の西村博之が入学してきました。もちろんルールを守ることは大事ですよ。ただ、世の中にはルールそのものが間違ってることも多くあるわけで、おかしなルールは変えていいという前提がなかなか日本では共有されない感じがありますね。それは日本でディスカッションやクリティカルシンキングが苦手な人が多いことともつながりますし、結局は教育の問題なんだと思います。
ただ同時に思うのは、校則がないとみんな色々なことを好き勝手やらかして、それが規則を作ろうという動きにつながってしまうんですよね。例えば、北園高校は校則がない自由な高校なんだけど、折に触れ制服を入れようとか規則を入れようみたいな話は出てくるわけですよ。そういう圧力から自由を守りたいなら、度が過ぎないように自重することも大事なんじゃないの? という部分が、高校時代からの基本的な考え方になっているところがあると思います。
――これは、不自由展の話と重なるところがありますよね。
津田 そう思います。まあこれを読んでる読者の人からしたら「不自由展のどこが自重してるんだよ!」って感じでしょうが……。でも、単なる政治的主張の場にしないための、政治色を薄める工夫はできる限りしていたんです。キャプションとかは淡々としたものにしていましたし、美術館、博物館の文脈はしっかり意識していました。