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2010年代後半から、ネットよりもリアルの方向へ

――2010年代の後半に入ってくると、津田さんはネットよりもリアルの方向へ舵を切っているように見えます。最近では、「ネットやSNSは時間の無駄『“対人”こそ情報収集の基本』」(「ZAITEN」2018年2月臨時増刊号)という記事もあります。

津田 もちろんネットは好きだし、大事だし、使わなきゃなと思っているんですけど……。それも結構クリティカルな質問ですね。

 このことは、今回不自由展が再開できたこととも密接に関わっています。不自由展が中止になった時、最初に展示中止の申し出があったのは、イム・ミヌクとパク・チャンキョンという2人の韓国人作家からです。彼らは常に検閲に晒されている人たちで、だからこそ対抗するという意思表示でした。でもその時に、十分なコミュニケーションをとることができなかったので、アーティストたちの勧めもあって、8月21日に韓国へ行って、2人と直接話してきました。そのことで誤解が解けた部分もあって、彼らは「『不自由展』が戻るなら、自分たちも戻るよ」と約束してくれました。

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――直接のコミュニケーションが大切だったと。

津田 もう1つ重要だったのは、キューバのアーティスト、タニア・ブルゲラとの対話でした。8月12日、僕から「自分はジャーナリストであるし、表現の自由を何よりも大切だと思っている。とにかく再開を目指すので、それを信じてほしい」と伝え、率直な意見交換をしました。最後に「とにかく自分はベストを尽くす」と話すと「あなたはすでに尽くしているわよ」と言ってくれて、タニアとは別れました。翌日、タニアは展示中止を決めましたが、「ボイコットではなくサスペンド。中断にする」とも言ってくれました。あとで「ReFreedom_Aichi」のアーティストに聞いたところによると、「一度検閲された作品が戻ってくる芸術祭はこれまでなかったけれども、回復することができたら世界中で新しい事例になるかもしれないし、それを信じてもいいと思った」と。

 結局この2つのエピソードが示すものは何かというと、リアルに会って目を見て話すことが大事だという、極めて素朴な結論なんです。色々あったけど直接話して誤解を解いたことがトリエンナーレをギリギリのところでつなぎとめた。今回の問題でいたるところに通底していた「コミュニケーション不全」を乗り越えるには、ネットだけでは無理だったという話でもあります。

――ネットよりもリアル。津田さんの読者にとって、これはかなり衝撃的な転換では?

津田 まあ僕はもともとネットで知り合った人と飲みニケーションすることで知り合いを増やしていったようなところがある人間ですからね。大学生まではネットに触れてなかった世代ですし、最初からネットには限界があることをよく知ってる。ここ数年、僕の中でネットとリアルの比重が変わったということだと思います。ソーシャルメディアの可能性ばかり本に書いていたからこそ、そういう風に思われがちなんでしょうが。

――今回のトリエンナーレでリベラルのヒーローのようになったので、例えば政治家への誘いなどもあると思うんです。政治や市民運動の方向に進むという考えはないんですか?

津田 今のところそういう誘いは1件もないですね。というか、そもそも僕、左翼陣営からもめちゃくちゃ叩かれてますよ。彼らから見たら僕は「検閲」をした当事者に見えるんでしょうし、表現の自由のために戦わなかったチキンという認識でしょう。

――ないですか。でも、実際にそういう声がけがあった場合は?

津田 もとから政治家になるつもりはないですし、今までとやることは変わらないですよ。自分がやりたいと思ったことを淡々と続けるしかないなと。人間そんなに簡単に変わらないですよ(笑)。

聞き手・辻田真佐憲さん(左)

――今(取材時)、ツイッターのプロフィールには「本業に戻ります」と書かれています。これまで時代の波に乗り、様々な方面で活躍してきた津田さんの「本業」というのは、具体的にどういうものになるんでしょう。

津田 取材して本を書くのが本業じゃないですかね。ある程度落ち着いたら本を書こうかな、と思っています。

 

写真=平松市聖/文藝春秋