最初の起業は1999年 2005年にナターシャを売却
――津田さんは、経済的にものすごく成功していますよね。2005年に立ち上げたナターシャは、のちにKDDIに売却してもいます。
津田 経済的には正直浮き沈みの激しい人生ですよ。99年の起業時から数年は調子よかったですけどジャーナリストになって単行本書き始めたら途端に貧乏になりましたから。ナターシャも軌道に乗るまでは本当に大変でした。バイアウトした資金をもとに「ポリタス」を始めたりして、ジャーナリズムに投資する、みたいなこともやりましたが、この2年間お金にならないトリエンナーレに時間もお金も注ぎ込んできたので、バイアウトで得たお金は大体使い切ってしまいました(笑)。でもこれは趣味というか、使い方の範疇だと思うんですよね。人間いつ死ぬかわからないんだから、まあ好きなことにお金使おうと。資本主義は否定しませんが、いまの金融資本主義は明らかに問題が大きくなっているので、金持ちが稼いだ分、再分配に回しましょうよ、資産課税とか累進課税とかちゃんとした方がいいんじゃないですかって考え方です。
何でそうなったかというと、さきほど言ったような家庭環境で育って、社会にある不条理に目を向けたいという思いがある一方で、結局僕自身は若くして起業して人を雇ったりもしたから、経営者の気持ちも分かる。一方で人生一度きりなんだからパンクミュージシャンのようにも生きたいなぁと思う自分もいる(笑)。
――「思想的には、左翼じゃなくてリベラル」についてもう少し詳しく伺いたいのですが、つまり単なるリベラルで経済的にも成功している人の場合、もっとネオリベのほうに行きそうなものです。何かそれを止める左翼的なものが、やはり津田さんの中にあるんじゃないでしょうか。
津田 そう思います。死ぬまでそっち側に留まっていたいという思いがあるのは、子どもの頃の貧乏経験や家庭環境の影響は間違いなくありますね。
リベラルな考え方をする親を持った時、その子ども世代は何を考えるのかというのは僕にとって大きな関心事で。インタビューをたくさんする仕事柄、表現の仕事に携わってる人とオフの場で突っ込んだ話をすることも多いんですが、リベラルで政治的な家庭に育った子どもって、親の世代の「理念は正しいんだけど、そのやり方では広がらないよね」という思いを子どもの頃から肌感覚で持っていて、親を冷静に分析している傾向が共通して見られるんですよね。「左翼の子どもあるある」みたいな話題で盛り上がったりする(笑)。
彼らが言っていたことや伝えたかったことのエッセンスは、子ども世代にも残っていると思うんですよ。だからこそ、たいていは同じ道には行かず、違う生き方――クリエイティブな道を選ぶ。違う道で親の世代のリベンジ戦をやっているのかもしれない。
――自分が成功したからといって、その思いはなかったことにできない……。
津田 いやー、自分が「成功」したなんて今まで一度も思ったことないですよ。常に試行錯誤しながら正解を探る、そんな人生ですね。もっと頭が良ければ計画的にいろいろできたんでしょうが……。
――津田さんの年譜を追っていくと、2011年の東日本大震災はジャーナリストとしての活動の比重が大きくなる契機になったと思います。『動員の革命』や『ウェブで政治を動かす!』などを出版して、ツイッターをはじめとするソーシャルメディアの可能性を発信してきました。とはいえ今、実際の政治を見ると、津田さんが期待していたのとはまた違った方向に進んでいるのではないでしょうか。
津田 ウェブで政治は動くようになった――この点では「予言」が当たりました。しかし、その結果、政治家がネトウヨに秋波を送るようになり、N国党のような存在も現れてしまった。『動員の革命』、『ウェブで政治を動かす!』では、いろいろソーシャルメディアが持つ危険な部分や懸念も書いていたんですが、それがここまで大きくなるとは、予想外でした。スマホとソーシャルメディアの普及、GAFAの巨大化がこの10年で信じられないほど進んでいることと結びついていると思います。他方で、それにともなってマスコミの力が小さくなってしまった。今、マスコミにネットの暴走を止める力はありません。