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ボランティア1200人へのメッセージはなぜ遅れたのか

――津田さんはずっとフリーの書き手として活動してきたわけですが、今回のトリエンナーレでは、行政や現代美術に関係する人たちと仕事をしたわけですよね。これまでと異なる文化の中で働くからこそのギャップはありましたか。

津田 ここまで行政とがっぷり四つに組んで仕事をしたのは初めてでした。やはりどうしても意思決定が遅いことと前例踏襲主義に、最初は慣れませんでしたね。細かいことですが、まず僕が直面したのは、メールの壁でした。愛知県庁の場合は、メールのToやCCに3人以上入れてはいけないというルールがあるんです。

 

――それはまたどうして。

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津田 昔のネチケットの名残りというか……電子メールアドレスの漏洩が問題になったことがあって、その防止を目的としたルールらしいです。例えば事務局のメンバーと共有すべき15人宛てのメールがあったりする場合は、残りの人はBCCに入れてください、と。

――なるほど。返信する時は、1件ずつメールアドレスをコピペしたりして。

津田 そういうことです。BCCの意味ないじゃんという。「メールでは効率が悪いので、Slackを導入してください」と頼むと、「Slackは県でアクセスできないように指定されているアプリケーションです」という反応がある。「でも、必要なものだから通してもらうしかないんじゃないですか?」と伝えて、Slackを導入するまで3カ月かかりました。

――自分ひとりでやっている時とは、スピード感が違うと。

津田 特に騒動が起きた直後は、現場ではボランティアの人たちがすごく不安を感じていて、僕としても非常に申し訳ない思いがあったので、できるだけ早く直接メッセージを送りたいと思ってバーッと書くのですが、それが5日間止まってしまう。

 

――しかるべき部署や責任者の決裁のようなものが必要ということでしょうか。

津田 ボランティアの人たちは約1200人いたので、公式に発表していない内部情報のようなものを含む場合、それが洩れた時にどうするんだという話になって、「こういうふうに書き換えてくれないか」「それを書き換えたら何を言っているのか分からなくて、単なる通り一遍の『申し訳ありません』という謝罪にしかならないです」という折衝をしていると、時間がかかる。行政は行政のルールで動かなければいけないということを実感しました。

アートは、どうすれば分かりやすく見えやすくなるのか

――現代美術業界とのギャップについてはどうでしょう。

津田 僕がこれまでに仕事をしてきた出版や新聞、テレビ、あと音楽業界では、表現や作品性と同時に、商品性を考える世界なんですよね。例えば本を出版する場合、自分個人としての表現を追求することと、それが売れるかどうか。その両方を考えることが当たり前の世界で僕は生きてきました。

 美術業界はというと、商業化された原理主義的なアートマーケットとしての部分と、芸術祭や美術館などの公費を使って生かされている部分が、はっきりと2つに分かれていると僕は感じました。トリエンナーレはあくまで税金を使った後者の事業ですよね。でも僕としては、アートに興味がない人にも来てもらって触れてもらうことが何よりも重要だと思っている。現代美術の敷居を低くして、多くのお客さんにお金を払って来てもらうためには、どうすれば分かりやすく見えやすくなるのか。そういった僕の希望を伝えて、意見の食い違いが生じることはありました。

 

 ただ、その点については今回67万546人という、過去最大の来場者数を記録することができたことで1つの答えが示せたのではないかと思っています。これは今年開催された美術展としては日本最大です。1日当たりの平均来場者数も8940人と、人気のあったフェルメール展やムンク展、塩田千春展を上回っています。芸術祭の来場者数はいくらでも水増しできるというツッコミもあるでしょうから先にお答えすると、今回のトリエンナーレのチケット総売上は前回の約1.5倍なんです。2010年の草間彌生さん、2013年のオノ・ヨーコさんなどのように一般に広く知られているような作家がおらず、かつ東京ではないという不利な条件下でこれらの数字を達成できたことには大きな意味がある。

 来場者アンケートを分析して、今回初めてトリエンナーレに来た人の割合が大きいことがわかっています。「炎上商法」だという批判もありましたが、不自由展はそもそも3日で中止されているので、会場に来ても見ることができないですよね。一度くらいは話題に乗せられて来る人もいるかもしれませんが、そういう人はリピーターにはなりません。今回のこの数字は多くのリピーターを獲得できたからこそ達成できたものです。現代美術になじみのない人に現代美術に触れる機会をつくり、アートファンの裾野を広げるということには間違いなく貢献できたと思っています。

――念押しで伺いますが、各所と折衝を続けて、時に抵抗もありながらあえて津田さんのやり方で押し切る場面もあったのは、なぜですか。

津田 繰り返しになりますが僕のやり方で「押し切る場面」はなかったのです。とはいえ、自分のやり方に強いこだわりはあって、それは折に触れて提案させてもらってきました。なぜかといえば、あえて芸術監督を外部から招いて開催するのがあいちトリエンナーレの特徴だからです。アート業界の常識とは違うことをやって、新鮮な風を吹かせてほしいというのが僕に求められている役割だと考えていたからですね。そのことは初代監督で、芸術監督選出会議で僕を選んでくれた建畠晢さんがアーツカウンシル東京に寄せたコラムで明言されています。

写真=平松市聖/文藝春秋