芸術監督の関与が生んだもの
――では、ガバナンスの問題について伺います。参加作家の選出には、津田さんがかなり関与されていますね。アートの専門家であるキュレーターチームからプレゼンしてもらい、それを津田さんが審査・決定するという形で。なぜこの方式になったのでしょうか。
津田 自分が理想として掲げていたドクメンタ(※2)のようにテーマ性が強い芸術祭を実現するには、従来の体制では厳しいなと思ったことがきっかけだと思います。
※2 ドイツのカッセルで1955年以来、5年おきに開催されている国際的な現代美術祭。第5回以降、芸術監督が導入され、毎回のテーマと作家を芸術監督がキュレーションする。
――津田さんとキュレーターチームとの関係性についてはいかがでしたか。検証委員会は「芸術監督とキュレーターチームは、トリエンナーレ全体の展覧会のあり方をめぐって当初から意見のずれがあった」と指摘しています。
津田 この点についても誤解が生じていると思います。テーマ「情の時代」が決まった後、キュレーターチームと作家について議論する中で、ピンとこない状況が続いた。そこで作家の選出の仕方について、キュレーターの役割を少し変えさせてほしい、という提案をしたんです。アートのことは分からなくても、テーマのことは作った自分が一番理解しているので、これまで通りキュレーター側から作家についてプレゼン・推薦してもらい、最終的に自分が判断するやり方にしたいと。また、キュレーターとの会議では僕が推薦した作家もいます。
2018年3月に僕からその提案をして、そのやり方で進めることにキュレーター全員から同意を得ました。しかし、その後に「色々な芸術祭に関わってきたけど、こういったやり方をするのは初めてだ」という意見があったことは聞いています。自分たちの職責を芸術監督に侵食されたという不満をもつことは理解できる。ただ、キュレーターチームが決めて進めていたものを反故にした事実はないし、「このやり方でいいですか?」と合意している認識でした。
――そういった津田さんの様々な関与によって、トリエンナーレの「独自色」を打ち出せた一方で、芸術監督に権限が集中してしまって、その結果色々なものを背負いこむ形になり、リスク要因となったということはありませんか?
津田 全てを自分が決めていたわけではありません。僕の領域は、個々の作家を選ぶところまでが基本で、その先にどういったキュレーションを作るのか、どれぐらいのお金やスペースが必要になるか、こういった点はキュレーターの専門領域なので、自分が提案して入った作家以外はそこまで口を出していません。また、僕が提案する作家の検討はキュレーター会議では基本的に、ずっと後回しにされていましたが、それでいいとも思っていました。それはキュレーターの提案を優先するということでもありました。