映画監督・北野武の誕生。監督デビュー作となった『その男、凶暴につき』、そして傑作『ソナチネ』はどのようにして生まれたのか。
去る10月26日、八重洲ブックセンターにて『黙示録——映画プロデューサー・奥山和由の天国と地獄』の刊行を記念して、奥山和由氏、著者である映画史研究家の春日太一氏、奥山とともに邦画界を盛り上げ続けてきた鍋島壽夫氏をスペシャルゲストに迎えた鼎談イベントが開催された。『ハチ公物語』など15作品を共にプロデュースし、「運命共同体だった」と語る奥山と鍋島。イベントでは2人が製作に携わった北野武監督『その男、凶暴につき』について振り返る一幕も。
『その男、凶暴につき』はそもそも深作欣二が監督をする予定であった(この降板劇の詳細は『黙示録』に詳しく書かれている)。深作が降板した後、主演である北野武はなぜ監督を務めることになったのか——。
「映画監督・北野武」誕生
奥山 和由(以下、奥山) 深作さんはとにかく降りるっていう決心をしちゃっているなかで、「武さんが監督ってのはあるかなぁ」と思いながら「とにかく一発勝負で訊いてみるしかない」と。だけど、もし「やる」ってことになったときにFRIDAY事件の直後ですから、謹慎が解けて、じゃあ武さん監督でいこうってなったときにテレビの収録が山ほど積もっていたんです。撮影を1週間おきにしかやれないよと。でも、とにかくそれでしか前に進めないのであったら進むしかないよねっていうことで。
鍋島 壽夫(以下、鍋島) 奥山さんはそういうところの決断は早いんですよ。深作さんがないっていうときは、武さん監督しかないだろうという。今でも忘れない四ツ谷の寿司屋の2階に呼んで、当時森さんもいて。奥山さんが「鍋ちゃん、どうする?」と言うから、こっちはもう腹も決まっていて「いきましょう」と。それで、奥山さんが「武さん、どうですか?」と訊いたら、武さん、躊躇なく「はい」って言ってました。
奥山 本人(北野武)がやるつもりだという確認をした上で、じゃあ実際にやれるのかどうかというところの話し合いになったんですよ。それでも俺は武さんが1回やると言った後に何回か翻ると思っていたんですよ。そうしたら、全然翻らない。で、どんどんもう待ってましたみたいな感じで、コンテから何から全部できてる。それから、もともと決まっていたキャスティングが全部変わってくるわけですよね。だから現場が本当に無事に済むのかなぁというふうな危機感を持ちながら、あのときは「やっちゃうしかない」って(笑)。
春日 太一(以下、春日) 最初、奥山さんから武さんを監督でいくって訊いたときは鍋島さんとしてはどういうふうに思いましたか。
鍋島 大賛成でした。それはもう反対するより、面白いと思いましたね。さすがそういうとこに目をつけるかと思いましたよ。
『その男、凶暴につき』では、タイトルやあの印象深いポスターも奥山が考案したものだという。
奥山 予感も記憶も全部ビジュアルが先に自分の中で浮かんじゃうんで。で、この武さんの映画のときも、武さんがちょっと首を傾げるような感じで、ボソッと立ってるだけっていうポスターのビジュアルが最初にポンと浮かんだ。それで、武さんの体に「凶暴」って入っているのが一番いいと思ったってとこから、『その男、凶暴につき』ってタイトルに決めたんです。