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 混乱の中クランク・インした一方で北野武の現場は、各スタッフの守備範囲がしっかり決まった効率の良いもので、彼の知性を垣間見せるものであったという。奥山と鍋島は『その男』以降も、北野武監督作品『3-4x10月』『ソナチネ』と仕事をともにすることになる。

なぜ『ソナチネ』というタイトルになったのか

奥山 武さんが大事なことを相談する時って、みんながいるところでは絶対に話さない。サシじゃないと話さない。で、これはカンヌで勝負しましょうっていう話が途中から出たんですよね。もともとは娯楽アクション映画にしようってところから、ラッシュみると全然違うアートムービーになっている。時代劇以外で日本映画が海外に出たことってないから、海外に行こうよと。

 この映画をカンヌに行かせたい。だけどそのときに実は題名が決まっていなかったんですよね。カンヌにもうプレゼンテーションしなきゃいけない、だから題名つけなきゃいけない。その時に沖縄でロケ中だったんですけど、もう題名だけとにかく決めて書類を送らないと(いけなかった)。だから「武さん、決めましょうよ」と。「うーん」ってリアクションが微妙なんですよね。じゃあ「こっちに任してくんない?」「いやー、うーん、ちょっと考えがある」「考えがあるなら教えてください」と。そうしたらロケバスからちょっとみんな出てくれないかと。で、まずロケバスを空にして。「奥山さん、2人だけで話したい」。で、2人でロケバス入ったら「どんな題名ですか早く言ってくださいよ」と。武さん、「ソナチネ」ってぼそっと言ったんですよ。

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 暴力団の話で『ソナチネ』ってなんですかと訊いたんですよ。「いや、ピアノを最近俺やってるんだけど、ソナチネあたりでみんな辞めたくなるんだよ。それでヤクザもいいなぁと思って入ったけど辞めたくなったって話だし、ソナチネ、どう?」って言って。「いいじゃないですか」って言ったら、相好崩してすごい喜んだんですよ。それで「だけどなんでこれを2人っきりで話さなきゃいけないんですか」って言ったら、「いや、みんなの前でさ、題名言ってさ、なにそれって顔されるのがすごく怖かったから」って(笑)。そういうデリケートなところのある人だった。

鍋島 その後に『あの夏、いちばん静かな海。』っていうのやったんですけど、これは東宝でやったんですけどね。そのときも題名がね、色々と揉めたんですよ。で、武さんが僕に言ったのは——あれ、サーフィンの話でしょう——『水蜘蛛』って言ったんですよ。それは流石にあきまへんと。そして最後に武さんが出してきたのが『あの夏、いちばん静かな海。』だった。だから非常に題名に対するこだわり、センスがある方だと思います。

春日 奥山さんの『その男、凶暴につき』と、武さんの『あの夏、いちばん静かな海』って、センスも雰囲気も似てるところっていうのがあったんですかね。

奥山 まぁ、いろんなところでぶつかるところはありましたけど、内容についての話とか、作るっていうことについての話、2人っきりで話すときはすごく紳士な方だったし、話もしてて楽しかったですよね。最後は事務所とギクシャクしたときもありましたけども、本当に何やったって怒られなかったですよ。『その男、凶暴につき』のときだって、執行猶予期間が終わったときで、その日が完成披露試写の日だった。だからくす玉と一緒に「執行猶予期間終了」っていう垂れ幕をかけた。そういうことをいきなりやっても笑ってくれたし、それから、ヒットのパーティーやりましょうって、プレゼントに武さんの奥さんの銅像作ってプレゼントしても許されてたし(笑)。

春日太一氏(左)

 しかし、金銭面でプロデューサーとしての苦労はあった。

鍋島  『ソナチネ』の制作費がかなり高かったんですよ。それで見たら「どこに金使ってんの」って怒られましたよね。沖縄の家って独特じゃないですか。あれを何棟も建てたんですよ。でも撮ったのは入口だけ。で、奥山さんも松竹から怒られて。後で沖縄の家の建築中の証拠写真を見せたりしたんですよ。それから松竹、奥山さんのところ、オフィス北野とバトルが始まったんですよ。

奥山 松竹の役員会で報告する時に、この金額、この予算に対してどうなんだって報告するっていう立場と、現場でいいものを作りたいっていう「つんのめり方」というのは、つねに二律背反なんですよね。そこで現実的にどこをどの程度選んでいくかという判断というのは、自分でせざるを得ない。まぁそれは武さんの映画に限らず全部の映画に関わってくることでしたね。