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2019/11/11

 ところが二度目の懲役を終えて出所すると、府中刑務所から「ダルク」に直行するのであった。そしてこう述べる。「毎回捕まるたびに僕は、やめようと思ってたんですけど、その自分の強い意志とかがまったく役に立たない、というのが薬物の怖さだと思います」、「はっきりと『もう2度とやりません』ではなくて、一日一日薬を使わない生活を重ねていきたいな、という思いです」(注5)。

 薬物依存症で必要なのは意志などではなく、病気だと認めたうえで治療プログラムを受けることだとの認識の変化が見て取れる。

2015年に出所報告会見を行った田代まさし。右は日本ダルク本部代表、近藤恒夫氏 ©AFLO

 芸能人は逮捕されればテレビの世界から締め出される。まして実刑判決となればなおさらだ。ところが田代まさしの場合、最初の懲役から出所すると、テレビに出られなくても、イベントやニコ動などに出演するなどして、「ネ申」(神)扱いで人気を博す。タレントとして頑張ることで薬物を遠ざける、そんな意気込みであった。

 それからまた逮捕されると、上述のように薬物依存症の語り部となっていった。このたびの逮捕後のSNSでの反応をみると、こうした田代まさし本人の変化に、世の中も呼応していったかのようである。

嘲笑や熱狂の対象から社会問題のアイコンへ

 今年7月にEテレ「バリバラ」に出演して、「先生」として薬物依存症の怖さを講義する回は、ネットでも公開されていたが、逮捕当日のうちに削除され、また番組HPからもその回のページはなきものになる。こうした処置に対して、「何年経っても手を出してしまう、これが依存症そのものなのだから、公開し続けてほしかった」といった声が多くみられたのもそれだ。

 逮捕が繰り返されるうちに、嘲笑や熱狂の対象から社会問題のアイコンへとなったかのようだ。それはそれで本人にとっては余計な期待であったろうが、はからずも田代まさしは身を持って薬物依存症とはなにかを世の中に知らしめていった。

 そういえば清原和博の聞書『清原和博 告白』は、長いインタビューの最後を、こんな言葉で締めくくる。「ただ、相変わらず薬物の欲求っていうのは突然、襲ってきますし……、そういうのにも勝たないといけない。ああ、やっぱり苦しいですね……」。

 従来の懺悔録であるのなら、「もう二度としません」と更生を誓おう。ところが、そうきっぱりとは言い切れない様子をそのまま活字にしている。これが刊行できるのも、世の中の変化の現れのようにおもえる。

 

(注1)リリー・フランキー『リリー・フランキーの人生相談』(集英社・2009)
(注2)日刊ゲンダイDIGITAL「田代まさし4度目の薬物逮捕 売人は“有名顧客”を逃さない」

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geinox/264348
(注3)「週刊文春デジタル」編集部「【動画】田代まさしが披露した“薬物替え歌”フルバージョン
『握手したらパケ渡されて……』」
https://bunshun.jp/articles/-/15320
(注4)田代まさし『審判』(創出版・2009)
(注5)「創」2015年5・6月号 篠田博之「田代まさしさん、ダルクで薬物リハビリの日々」

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