富山県魚津市といえば、市の名前から想像できるように、魚が美味しい。市内の寿司屋で、地物の「のどぐろ」を頼むと、風味があって、舌がとろけるような食感だった。まさに「きときと」(富山の方言で「新鮮なこと」)。やはり、一番のイメージは「海の街」ではないだろうか。
(全2回の2回目/#1より続く)
観光の目玉の一つが、現存する中では国内でもっとも古い「魚津水族館」だ。ほかにも、海側には、「海の駅蜃気楼」、「蜃気楼展望地点」など、蜃気楼の名所にちなんだ観光スポットがある。4月から6月までは、蜃気楼予報を出すくらいの人気だ。「魚津埋没林博物館」もあり、立ち寄る場所は多い。また、大正時代の「米騒動」発祥の地であり、その碑も海側にある。
見ていると時間を忘れる「東山円筒分水槽」
しかし、今回、筆者が訪れたのは山側。立山連峰の北側に連なる毛勝三山の麓だ。その中に、猫又山を源流とする片貝川がある。富山県七大河川の一つで、平均勾配8.5%の急流河川でもある。万葉の歌人・大伴家持は「片貝の 川の瀬清く 行く水の 絶ゆることなく あり通ひ見む」と詠んだ。源流から河口まで、魚津市内で完結し、富山湾に注ぐ。
片貝川右岸沿いを行くと、田園風景の中に、円形の物体から水が流れているものを見ることができる。なんだろうか? 「東山円筒分水槽」だ。「ナニコレ珍百景」(テレビ朝日)でも紹介されたことがある。直径9.12メートル、高さ2.5メートルの水槽のようなものだ。中心部分から水が溢れ出し、3方向の農業用水路に流れ出る仕組みだ。理屈を離れ、細かく見ていると、時間を忘れてしまいそうになる。
昭和29年に完成した東山円筒分水槽は魚津市の「水循環遺産」に指定されているほか、「とやまの文化財百選(近代歴史遺産部門)」にも選定されている。国の文化審議会は11月15日、国登録有形文化財として登録するよう答申した。早ければ、年明けにも登録される見込みだ。
かつて渇水期の夏には水をめぐる争いが…
不思議な光景だが、このような仕組みには理由があった。「魚津観光ボランティアじゃんとこい」の伊東清隆さんらによると、以下のような説明になる。
以前は、片貝川の水をめぐる争いがあったという。7月末から8月にかけて、渇水期となるためだ。農業用水の取水口を上流に作るほど、水を多く引き入れることができる。地域が競ってしまえば、水不足になる。そこで考え出されたのがこの方法だ。
「水門を作る方法よりも公平で争いがないのです。水門にすると、夜中に勝手に水門を開けてしまって、自分の地区に水を引き入れてしまう。さらに、地区内でも、自分の田んぼの近くの水路に横になり、水が乗り越えて、田んぼに水を入れるという人もいたとか」(伊東さん)
それだけ夏の渇水期には水をめぐる争いがあったということか。しかし、円筒分水槽にすることで、人為的な分割ではなく、自然に任せた。耕地面積に応じて、円周が分割されている。結果として、争いがなくなった。公平に分配される仕組みなのだ。