『世界から猫が消えたなら』を書いたきっかけの一つは携帯をなくしたことだった。
――ところで、いつも年に一度はバックパッカーとして一人で旅をすると前におっしゃっていましたよね。『四月になれば彼女は』は世界のさまざまな土地が出てきますが、これらは全部行ったところなんですか。ボリビアとか、インドとか、アイスランドとか。
川村 全部行ったところです。「あの世」みたいな場所を選びました。景色を見て「嘘みたーい」「何ここアニメの世界?」と言ってしまいそうな場所(笑)。東京にいて、純みたいな性に奔放な女性の話を聞くと「嘘だろうそれ」って言いたくなるけれど現実にそういう人はいるんですよね。だから、遠くを旅して嘘みたいな景色の中で嘘みたいな恋愛をする人もいるし、東京のものすごくリアルな景色の中で信じられないような恋愛をする人もいるという対比が面白いなと考えたんです。
――これ、映画化したら各地の映像がきれいだなと思って。
川村 海外の4か所ロケで10億以上かかりますよ(笑)。サイモン&ガーファンクルの曲を使うだけでも相当かかりますし。この小説では音楽がずっとかかっているんです。洋楽邦楽合わせて20曲以上でしょうか。映画では予算の問題で、こんなに曲をかけることは不可能でしょうね。
――『世界から猫が消えたなら』を書かれた時も、映像ではできないことを書きたかった、とおっしゃっていたけれど映像化されましたね。
川村 そうなんです。あれは「何かが消えた世界」という、映像としては非常に表現が難しい構造を使って小説にしたんです。映画では、大切なものが消えた後の人間関係というところにフォーカスした脚本にして成立させていて、とても映画的な発明で面白いと思いました。『億男』も中国で映像化が進んでいるんですが、あれはどうなるのかな。お金の話を映像化するのも難しいですよ。たとえば競馬で1億円賭けたら、レースを見ながらものすごいアドレナリンが出る。でもそういう感じって映像には映らないからすごく難しいんです。
『四月になれば彼女は』は、現在の恋愛と過去の恋愛をかなり細かいカットバックで描いているし、音楽をずっと鳴らしているし、海外ロケは必要だし、と思ったら東京にいる登場人物たちは部屋で映画を観てばかりで動かない。喋らないふたりのつばぜり合いに量を割いている話なので、映像化はかなり困難ですよ(笑)。アン・リー監督に撮ってもらえばなんとかなるかもしれません。カウボーイが羊を追うだけで映画にしちゃう人ですから。
――『ブロークバック・マウンテン』のことですね(笑)。小説を書くからには、映像化できないものを書こうという気持ちは今も強いですか。
川村 そこまで肩ひじ張らなくなりましたね。ただ、映画でできないことのストレスを小説を書くことで発散している気がします。
――『世界から猫が消えたなら』の時に、小説を書き始めた理由はふたつあるとおっしゃっていましたよね。ひとつは、携帯電話を落としたことだったという。
川村 そう、それで僕以外の全員が電車の中で携帯を見ている時に、僕は窓の外に虹を見つけたんです。それで、ものを失くしたことで得るものもあるんだなと思って。