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次作のテーマは「記憶」。人間を人間たらしめているのは記憶だと思うから。

――理由のもうひとつは、映画『悪人』を作る時に原作者の吉田修一さんも脚本に参加されたわけですが、小説家が映画に参加する姿を見て、その逆をやってみるのも面白そうだと思ったという。

川村 そう、それが完全なきっかけでしたね。それで『世界から猫が消えたなら』を書いて吉田さんに読んでもらったら「面白いと思うけれど、次は三人称で書いたら?」と言われたんです。それで次は三人称で書くことにしたんですが、どうにも名前をつけることに抵抗があって。『世界から猫が消えたなら』のときは人間に誰も名前をつけずに書いたのですが、三人称で書くとなると登場人物に名前が必要で。でもどうしても普通の名前をつけたくなかったんですよ。それで『億男』は一男や九十九といった、数字の名前にしたんです。それがちょうど『怒り』の映画化の話が始まったくらいの時だったのかな。吉田さんに『億男』を読んでもらったら「社交辞令と、ちゃんと意見を言うのとどっちがいい?」と訊かれて「もちろんちゃんと意見を言われるほうがいい」と言ったら、次に挑戦すべきことについての話をすごく丁寧にしてくれて。

――具体的にはどういう?

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川村 『億男』について、「描写に興味がないのは分かるんだけれど、次は描写をやってみたら」と。確かにそれまで僕はあまり描写に興味がなかったんですね。むしろ龍安寺の石庭のように、フレームだけがあってそこを読者が埋めていくという読まれ方をすることで自分ならではの小説にしていきたいと思っていた。でも、僕は吉田さんに言われたことは全部その通りにやろうと決めているんです(笑)。なので『四月になれば彼女は』は書き方を大きく変えてみた。これまではストーリーや人物の動きを書いていましたが、今回は動かない人たちの状況とか、考えてることを延々と描写していったんです。

 映画って、何かどこかを動かしたくなるんですよ。でも小説って、主人公の男と婚約者の女性が座ってぼーっと恋愛映画を観ているだけでも、かつてこの人たちの過去に何があったのか、いま何を考えているのかを書くことができる。ただ座っている風景だけでもいろいろ書けるのが小説の面白さなんだなと思いました。

――4作目はどうなるでしょうか。

川村 『四月になれば彼女は』が終盤にいくにつれて、恋愛の話から、どんどん記憶の話になっていったので、次のテーマは記憶にしようと思っています。人工知能とかロボティクスとかっていろいろ語られているけれど、結局人間を人間たらしめているのは記憶なんだというところに行きつく。たとえば僕が脳死して、僕の体に人工知能を入れた時、それは僕じゃないと思うんです。でも僕の体が潰れちゃって、僕の記憶だけをロボットの体に移植したら、そのロボットは僕かもしれない。それくらい記憶っていうものが人を人たらしめている。それこそ『君の名は。』も記憶をめぐる話でもあった。『四月になれば彼女は』もやっぱり、ハルという初恋の人、弥生という目の前の婚約者との記憶の話でもあるんです。

――次の小説はAIが出てくるんですか?

川村 人工知能はもう語るにはちょっと古くなりつつある気もしています。はっきりしているのは、また幸福論を描くことです。僕は「何が人間にとっての幸せなのか」ということにしか興味がない。記憶を使って幸福論を書く時に思うのは、やっぱり生きながら忘れていくというのは、死ぬことより残酷だということ。でも記憶を失う時に、何かを得るような気もしているんですね。それは何かというと当然見えないもの、映像にも映らないものですから、それを小説に書いてみたいなと思っています。いま膨大な取材を重ねていまして、完成するのは2年後になると思います。